2008年11月19日 (水)

今日の丹沢山塊

今朝は空気が澄んで、紅葉間近の美しい丹沢を遠望しました。Cimg6259
全景。Cimg6263
大山。Cimg6264
冠雪した富士山頂がほんの少し見えます。

2008年11月17日 (月)

霊山寺(沼津)の混合式石塔

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沼津の曹洞宗の古刹霊山寺墓地の川勝博士の言う駿河遠江の一部の地方色である混合式石塔を探訪しました。延享5年(1433)武田氏と後北条氏との戦いですべてが焼かれてしまったので寺の詳細はわかっていませんがもともとは天台宗だったらしい。いったん境内を出て左奥の墓地に鎌倉時代の五輪塔と混合式石塔がありました。混合式石塔とは宝篋印塔の塔身が五輪塔の水輪のように球になっているものです。

2008年11月15日 (土)

台湾の旅・三鳳宮

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高雄市の中心部にある三鳳宮は1672年建立の道教の寺院で、現在の建物は1972年の建築。毘沙門天第三王子中壇元帥が本尊で、太子爺と親しく呼ばれています。Cimg5307
新幹線で台北に帰りました。

2008年11月14日 (金)

台湾の旅・旗津天后宮

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旗津は港に沿って伸びる長さ2kmの長い島で船で渡らなければなりません。ここには高雄最古の名刹天后宮があります。1673年建立で海の女神媽祖などが祀られています。Cimg5291
西には広々とした海岸公園がありました。向かいは中国なのでしょう。水平線近くに数隻の大型船が浮かんでいました。

2008年11月11日 (火)

台湾の旅・台北101

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ほぼ一年ぶりに故宮博物館を見て、高さ509.2m101階の高層ビル台北101に行ってみました。熊谷組を中心としたJVによるものなので台湾の人は安全性に高い信頼を置いているようです。89階の展望台に行くエレベーターが高速なのですがそれをぜんぜん感じさせないのには驚きました。展望台からの景観はもちろん素晴らしいものでした。

2008年11月10日 (月)

台湾の旅・金瓜石

台湾に行ってきました。Kyuug5309Kyuumg5313

金鉱山で栄えた町として九份が有名です。小物を売るよう小さな店が狭い路地にならんでいましたが私には興味がないものでした。Housesg5351Ctennnog5365Tennnog5355Tennnog5362Tennnog5363Torokkog5378
むしろ山を越えた金瓜石に最近黄金博物館ができて、これが実によいのです。広大な敷地に入るとまずは当時使われていた日本家屋が見事に再現されていました。昭和天皇来訪時のために見事な屋敷が残っていました。異国の地で日本的なものを目にするのは実に気の安らぐものです。現代的な建物の黄金博物館は当時の事情をよく伝えるものです。連合軍捕虜をここで働かせた様子などは始めて見聞するものでした。Scenerymg5344
近くの山々の景色は見事でした。

2008年11月 9日 (日)

姫路の旅・書写山円教寺

円教寺は姫路駅の西北にあり、むしろ書写山といったほうが通じるようです。山上にはロープウエーを利用しないといけません。天台宗の一大道場です。Mani5092
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魔尼殿は古いものではありませんが舞台造りの壮大な建造物です。Dag5096Aimg5097

広場をはさんで大講堂、食堂、常行堂などが大建造物群を形成していました。山の上にこれだけの規模の建物があったというのは驚きです。Honnag5099
本多家廟所。食事のきちんとできて助かりました。

2008年10月26日 (日)

姫路の旅・姫路城

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元弘3年(1333)播磨守護職赤松則村の築いた砦に始まり、正平元年(1346)その子貞範が築いた姫路城には圧倒されました。さすが国宝。城から姫路駅までは15分程度。

2008年10月19日 (日)

姫路の旅・一乗寺(4)

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本堂の裏手には護法堂、妙見堂、弁天堂の鎮守三社が祭ってあります。いずれも鎌倉、室町の建造で重文に指定されています。

2008年10月 6日 (月)

姫路の旅・一乗寺(3)

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金堂(本堂)は創建は白雉元年(650)、再建寛永5年(1628)で重文に指定されています。本尊は聖観音菩薩。三重塔のすぐ後部の傾斜地なので懸造りとなっています。

2008年9月29日 (月)

姫路の旅・一乗寺(1)

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姫路を中心に旅をしました。まず加西の法華山一乗寺。姫路駅から車で30分ほどかかります。加古川からもいけるようです。静かな山間にありました。このあたりには仙道仙人の伝説があり、この寺と同じく彼の開基になると伝えられているものがいくつかあります。仙人はインドから一夜にして中国、朝鮮を経て日本に飛来したのだそうです。大化5年(649)孝徳天皇の病気が仙人の加持により治ったので本堂建立の勅がおりたのがきっかけです。境内に入るとすぐに正和5年(1316)の銘のある立派な笠塔婆がありました。Stepsmg5011Karig5012Karig5013


階段を上ってすぐ左手に常行堂。火災により焼失したものを明治元年に再建しました。今も道場として使われています。

2008年9月18日 (木)

長津田を歩く・子育地蔵

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横浜線沿いに長津田駅の戻る途中子育て地蔵と呼ばれている一群の石仏を見かけました。文政年間に井上重郎左衛門が亡き童子の冥福を祈願したものとのことです。

2008年9月15日 (月)

長津田を歩く・頬づえ猿のいる地蔵

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天狗童子の向かいにあるのが地蔵立像。享保8年(1723)の造立です。Cimg4983
台座の両脇には奉供養念仏庚申、為二世安楽と記されています。面白いのは中央に頬つえをついた猿がいること。

2008年9月11日 (木)

長津田を歩く・嘉永2年地神塔

道祖神のすぐ脇には量感のあるCimg4978
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地神塔がありました。嘉永二年(1849)の銘があります。その4年前には成瀬地区は大干ばつに見舞われたそうです。農民の願いが込められているのでしょう。

2008年9月 8日 (月)

長津田を歩く・天狗の道祖神

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クリーンセンターの前に木々の濃い一角があり坂道(与兵衛坂)が上るところに道祖神、地神塔、地蔵立像がありました。Cimg4975Cimg4987

中でも天狗童子(烏天狗)の道祖神は非常に珍しいものです。なかなかかわいらしいと思いました。成瀬中村にあった地蔵堂を中心に活動した修験者たちとの係わり合いを示すものと考えられています。

2008年9月 7日 (日)

長津田を歩く・原嶋源右衛門一家供養塔

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南成瀬を散策しました。長津田駅を北に出て西の方向にしばらく歩くと子供の国線の踏み切りとなります。なんといまどき火の見やぐらがあるのです。どう使われているのでしょうか?恩田川のすぐ近くに下水処理場つまりクリーンセンターがあります。Cimg4969
この近くの小さな林の中に磨耗の著しい地蔵菩薩立像がありました。なんでも義民として扱われている原嶋源右衛門とその一家の東光寺講中による享保14年(1729)建立の供養塔だとか。享保年間東光寺部落と長津田部落との間に境界線を巡る争いがあり、木炭を埋めて幕府の役人に検地をさせてそのまま境界を認めさせたのだが実行首謀者の原嶋一族が処刑された地なのだそうです。昼なお暗い木々の間にこのような供養塔があるのは、背景を知ると気味悪いものです。

2008年9月 4日 (木)

養福寺(2)

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仁王門をくぐると左手に鐘楼、右手に談林派の句碑があります。談林派は、大阪の西山宗Cimg4950Cimg4951Cimg4952


因を祖とする俳諧の一派です。延宝年間(1673-1681)に流行しました。松永貞徳の率いる古風な貞門にたいして、連歌や和歌から独立して新風の談林にといわれて軽快な俳諧を広げました。井原西鶴も宗因の優れて弟子です。養福寺の碑は1792年(寛政4年)に西鶴の100回忌を記念して建てられたということです。中央に梅翁花樽碑、左右に雪の碑、月の碑、左手前に菱形の標石が配されています。

養福寺(1)

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経王寺左脇の道を直進するとまもなく右手に真言宗の養福寺があります。宝永年間造立の仁王門が目に入りました。仁王門前の石灯篭も享保年間のもの。Cimg4956Cimg4957Cimg4958Cimg4960Cimg4959Cimg4961

左手には六地蔵のほか、ウーンつまり金剛界四仏の阿しゅくの種子を刻した宝篋印塔、青面金剛、如意輪観音などが配されていました。山手線の内側とは到底思えないほどの静かな雰囲気でした。

2008年9月 1日 (月)

弾痕生々しい経王寺(日暮里)

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日暮里の近くを散歩しました。御殿坂を登ってすぐ、右手に明暦元年(1655)創建の日蓮宗経王寺に至ります。Cimg4936Cimg4937Cimg4938Cimg4939Cimg4940


上野戦争のとき彰義隊をかくまったので新政府軍の攻撃を受け、山門には銃弾のあとがいまだに生々しく残っていました。日蓮作と伝えられる大黒天があります。

2008年8月31日 (日)

日本民家園(10)

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豪雪地帯山形県東田川郡朝日村松沢。農業の他に、現金収入として重要な養蚕も従事していました。18世紀末。この住宅のすぐ近くは「奥の門」となっていて園外に出られます。左へ曲がれば正門が近い。

2008年8月30日 (土)

日本民家園(9)

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川崎市麻生区中程の農家。正面の格子窓はシシマドといってイノシシを追い払うためのもの。17世紀末から18世紀初頭。Cimg4919
神奈川県愛甲郡清川村の農家。17世紀末。

2008年8月28日 (木)

日本民家園(8)

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麻生区岡上にあった蚕影山祠堂。岡上といえば玉川学園前駅から新宿よりの隣の駅のすぐ近くです。往時養蚕が盛んだったことを思わせます。文久3年(1863)建造の養蚕の神である蚕影大権現を祀る宮殿とそれを納める覆殿からなります。宮殿の側面には養蚕にまつわる説話が刻されています。
 

2008年8月25日 (月)

日本民家園(7)

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こちらは白川郷の住宅。19世紀前期。内部で軽食ができます。Cimg4828
九十九里浜網元の家。17世紀後期。Cimg4839
17世紀末の甲府盆地の農家。突き上げ二階として養蚕に利用していました。

2008年8月24日 (日)

日本民家園(6)

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19世紀中期、長野県上ヶ屋の水車小屋。中をのぞくと力強い歯車の動きがよくわかります。Cimg4811
丘の中腹にはまず合掌造りが目に入ります。五箇山のもので18世紀初期のもの。雪深いのでしょうね。こんなに傾斜がきつい。Cimg4813
もう一軒も五箇山の合掌造り。浄土宗の信仰が篤く、仏壇がしっかりしている。Cimg4818
これも五箇山。18世紀後期のもの。数年前高岡から五箇山そして白川郷に抜けたことがありました。良い旅でした。

2008年8月23日 (土)

日本民家園(5)

園内には道祖神、庚申塔、馬頭観世音など色々な石造建造物が配置されていました。Cimg4792Cimg4794Cimg4796Cimg4801Cimg4806Cimg4822Cimg4865Cimg4869Cimg4873Cimg4894Cimg4905Cimg4907Cimg4909Cimg4909_2「CIMG4911.jpg」をダウンロード
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2008年8月22日 (金)

日本民家園(4)

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伊那街道伊那部宿の19世紀中期の薬屋。石置板葺といって幅10センチ、長さ40-60センチ、厚さ1センチ程度の板を並べて、上にヒノキの置縁をかぶせ、石を載せて屋根としています。この辺りは降雪が少なくて雪下ろしはあまりする必要がなかったようです。

2008年8月21日 (木)

日本民家園(3)

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奈良市下高畑町の柳生街道の油屋。間口四間で床上と土間部分に分けてある。17から18世紀にかけてのもの。

2008年8月20日 (水)

日本民家園(2)

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奥州街道の宿駅、八丁目宿(福島県福島市松川町字本町)の市に向かう馬と馬方の宿。土間には内馬屋が設けられています。馬方は中二階、馬喰と武士は一階の座敷に泊まりました。19世紀初期。

2008年8月19日 (火)

日本民家園(1)

川崎市立日本民家園に行きました。小田急向ヶ丘遊園駅から歩いて13分のところに、生田緑地の起伏を上手に利用して20数軒の日本の民家が建てられています。日本各地の、そしてさまざまな年代の人々の生活を偲ばせてくれます。Cimg4743
かまどの神。本館の陳列です。Cimg4744Cimg4745

旧原家住宅。川崎市中原区小杉陣屋町1-561 。明治後半に22年を費やして完成した立派な伝統的建築物。

2008年8月17日 (日)

日光・輪王寺大猷院

家光の廟所である輪王寺大猷院は二荒山神社のすぐ脇にあります。ここまで来る参拝者はだいぶ少なくなりますが私は黒漆の美しい建造物群が気に入っています。一見地味ですが、東照宮に劣らず素晴らしく、むしろ豪華なものです。Nio4701
仁王門。Korog4711
鼓楼。Haidenmg4713Cimg4717Cimg4716


拝殿。Kokag4720
皇嘉門。奥に家光の廟所があるが入れません。

2008年8月16日 (土)

日光・二荒山神社

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東照宮の西隣の二荒山神社は男体山をご神体として、日光連山全体を神域としている下野国の一の宮です。東照宮の賑わいと対照的に境内は静かです。清流の流れる上新道の雰囲気もとてもよろしい。本殿は千鳥破風、唐破風をゆうする装飾鮮やかな所謂八棟造り。写真右奥です。

2008年8月15日 (金)

日光・東照宮奥社

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家康の墓所、奥社に至る参道の入り口である東回廊の馬道上の蛙股の彫刻が、あの有名な左甚五郎作といわれている眠りネコです。裏はスズメとなっていて平穏の象徴だといわれています。Haidenmg4669
そこを過ぎると一枚岩の石畳の続く静かな参道。やっと上りきるとまず拝殿。Byoug4673Ieyasug4677

その裏に家康の墓所となっている宝塔がありました。Tamag4670
参道ではいろいろな植物に出会いました。タマアジサイHydrangea involucrataはシーボルトのFlora japonicaにも出ています。アジサイ好きのシーボルトとしては当然でしょう。Hokorig4682
朱色の艶やかなホソエノヌカホコリHemitrichia clavata var.calyculata発見!変形菌のsurrealisticな外形にはいつも驚かされます。

2008年8月11日 (月)

日光・東照宮唐銅鳥居、南蛮鉄灯篭

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陽明門へは日本最古の青銅製の鳥居をくぐっていきます。高さは6mで大きくはありませんが金2000両の大金がかかったそうです。足元には連弁か刻まれています。Cimg4644
多くの灯篭が諸大名から寄進されています。中でも伊達政宗から寄進された南蛮灯篭が知られています。鉄はポルトガルから輸入されたものです。

2008年8月10日 (日)

日光・東照宮上神庫「想像の象」

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神厩舎の前の校倉造りを模した上神庫の妻面には二頭の象の彫刻があります。下絵は狩野探幽によるものとされ、実物を知らずに描いた「想像の像」とされています。象自体は普賢菩薩の乗り物として夙に知られていたはずです。

2008年8月 9日 (土)

日光・東照宮神厩舎

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神厩舎には神馬たる白馬がいます。猿は馬の健康と安全を司ると考えられているために猿の諸相が彫られています。Tekazasimg4630
母が手をかざして子供の将来をみようとして、子は母を信頼して見つめている。Mizarumg4629
有名な見ざる、言わざる、聞かざる。Korekaranojinsi4628
これからの人生を考えている。Nozomimg4627
望みを大きく持とう。Zetubog4626
絶望に瀕して下を覗き込む。肩をたたいて激励してくれる友がいる。Naktagaeg4631
恋人同士でもときどき仲たがえをする。Koijojug4632
恋が成就。一応良かったです。Jutaig4633
受胎中の母親。

2008年8月 7日 (木)

日光・石鳥居、五重塔

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輪王寺の左手を直行するといよいよ東照宮です。流石もっとも参詣者が多いようです。石鳥居は黒田筑前守長政による寄進。福岡県からはるばると運搬されてきたことになります。Cimg4617Cimg4619

鳥居をくぐって左手にあるのは小浜藩主酒井忠勝の献納した彩色艶やかな五重塔。初層から第四層までは和様、第五層は唐様となっています。つまり垂木をみるとそれぞれ平行垂木、扇垂木であることがわかります。

2008年8月 6日 (水)

日光・輪王寺

昨年に続いて今年も日光を散策してきました。新宿から直通で2時間足らず。便利なものです。まずは1300円を払って二社一寺共通拝観券を購入。Sanbutuimg4604
輪王寺。三仏堂には三体の本地仏、右から千手観音、阿弥陀如来、馬頭観音が祀ってありました。Sorinmg4605
三仏堂の裏手には家光の発願で、天海僧正が建造した高さ13.2mの相輪塔がありました。大宰府の天満宮や比叡山などで見かけましたが多いものではありません。Ltorog4610
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そのすぐ脇には一対の糸割符灯篭。よくみるとまことにすばらしい造りです。

2008年8月 5日 (火)

島根の旅・松江城

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千鳥破風が美しいため千鳥城とも呼ばれる松江城は慶長16年(1611)に出雲の領主堀尾吉晴が築城したもので、一度も戦火を浴びなかっため安土桃山時代の建築様式をそのまま伝えています。猛暑の中を古墳を求めて歩いた過酷な旅は印象的でした。これにて松江駅から直通バスで出雲空港へ急ぎました。

2008年8月 4日 (月)

島根の旅・岩屋後古墳

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茶臼山を仰ぐ一帯は水田となっていて古墳が点在しています。Totalg4590Cimg4587

岩屋後古墳はそのうちの一つで石室が露出していてちょっと変わった雰囲気でした。周辺には前方後方墳が多いのですが、これは破壊が進んでいるので墳形は不明です。見つかった人物埴輪は東京の国立博物館に収められています。なお近くには八雲立つ風土記の丘展示学習館があり、基礎的な知識を得ることができます。

2008年8月 3日 (日)

島根の旅・正林寺

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神魂神社境内の右の摂社群の脇から山道が延びています。Cimg4560
ここを降りていくと国造の菩提寺である正林寺があります。Cimg4565Cimg4575

墓地の裏山を登ると歴代の国造の墓である五輪塔が並んでいました。

2008年8月 2日 (土)

島根の旅・神魂神社(最古の大社造り)

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出雲市駅から松江までは特急で25分程度。出雲大社よりも古い神魂(かもす)神社に行きました。駅からはバスで20数分のところで下車。さらに20分は歩きます。Cimg4542Cimg4544

山麓に静寂さにつつまれて室町時代から佇んでいる本殿があります。正平元年(1346)建造の最古の大社造りです。

2008年7月29日 (火)

島根の旅・今市大念寺古墳

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出雲市駅から西へ歩いて15分のところに浄土宗の大念寺があります。11img445922mg4452Cimg4455


本堂の右手の墓地に入ってまもなく全長12.8mの横穴式石室が左手に開口しています。これこそ6世紀中頃に築造された全長100mの前方後円墳です。日没になって訪れたので暗い写真しか撮れませんでした。

2008年7月27日 (日)

島根の旅・出雲大社(3)

参道、本殿周囲にある摂社、末社他の建造物です。Cimg4466Cimg4481Cimg4482Cimg4482_2Cimg4485Cimg4486Cimg4487Cimg4489Cimg4498Cimg4499Cimg4501


2008年7月24日 (木)

島根の旅・出雲大社(2)

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重文の八足門をくぐると同じく重文の楼門、そして延享元年(1744)建立の大社造りの堂々たる本殿(国宝)に入ることができました。ここでは2礼4拍手1礼です。Cimg4508
神楽殿の注連縄は仮殿のそれよりも立派なものでした・

2008年7月21日 (月)

島根の旅・出雲大社(1)

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梅雨が明けた猛暑の中を島根に行ってきました。折しも出雲大社は遷宮の年に当たっていて神は仮殿にいらして本殿は空になっていたため運よく中を見学することができました。大国主命を祀っており、明治初年まで杵築大社と呼ばれていました。大社造り独特の構造のため本殿に上がると周囲を睥睨するような景観が得られました。宿舎は出雲駅のすぐ目の前。大社へはバスで30分足らずです。Cimg4474Cimg4476

仮殿の巨大な注連縄。

2008年7月17日 (木)

池袋の森

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池袋駅北口から歩くとへいわ通りがあります。さらに5分ほど歩くと右手に見逃してしまうほどのこじんまりとした入り口があります。Cimg4432Cimg4433Cimg4434Cimg4437Cimg4439Cimg4440Ikeg4435Ikemg4436

ここを入ると突然異次元空間に迷い込んだかと思われるような池のある小さな森に入り込んでしまうのです。Chimneyg4442
見上げるとやはり都心だと気づきます。

2008年7月13日 (日)

小田原散歩・居神神社

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板橋から城の脇を通って30分も歩けば小田原駅に着きます。途中の東海道本線ガード近くにある居神神社の鎌倉時代のものを中心とする石碑群はやはり寄りたいものです。線刻や陽刻の五輪塔、青面金剛像などやはりすばらしいと思います。

2008年7月11日 (金)

小田原散歩・板橋地蔵尊

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板橋の地蔵尊は、永禄12年(1569)に香林寺の文察和尚が自ら製作した仏像の胎内に湯本の宿古堂の弘法大師作と言われる地蔵像を収めたことに始まります。今も松永記念館の筋向いにある香林寺が管理しています。正月と8月23,24日の縁日には本尊の16cmの胎内仏が堂内の高さ2.5mの仏像の腹に遷座され、にぎやかな祭りが行われます。Ittog4397
寛永7年(1795)の一刀流6,7代の供養塔。Daikokug4396
巨大な大黒天像は関東大震災の翌年、小田原の城山に建てられた「復興大黒尊天像」を移転したもの。Cimg4398

2008年7月 7日 (月)

小田原散歩・板橋

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入生田から小田原に向かって二つ目の駅が箱根板橋です。このあたりには明治のころから政財界人、文人などが館を構えていました。電力王と呼ばれた松長安佐エ門邸は現在小田原の郷土博物館の分館にもなっており、茶室の備わった邸宅、落ち着いた庭園など静かな雰囲気を味わえるところです。Cimg4408
大倉の別邸も解放されていました。奥のほうで茶菓があるようです。山県有朋の古希庵は日曜しか公開されていません。

2008年7月 6日 (日)

小田原散歩・紹太寺(3)

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鉄牛和尚寿塔、スダジイ、イヌマキ、クスノキ、、シラカシ、ヤブニッケイなどよりなる自然林を左に見て50mほど歩くと小田原市指定天然記念物の長興山のしだれ桜があります。彼岸桜の変種で長寿になりやすく樹齢三百数十年と想像されています。開花期にはぜひ来るべきでしょう。Mausoleum376Cimg4380Cimg4382Cimg4383

道を戻り稲葉家一族の墓を詣でました。正勝、正則、正通の三代の小田原城主、正勝の母の春日の局の祀られているところです。帰路は小田原城下を見下ろしながら参道を下る一方で楽でした。

2008年7月 4日 (金)

小田原散歩・紹太寺(2)

紹太寺は本堂を拝観してから参道に入って面白くなっていきます。Sandomg4343
300段を超える石段は折しも雨で滑りやすくなってはいましたが木々の中を歩くのは爽やかなものでありました。Hasimg4347
まもなく正則の重臣田辺権太夫夫妻が寄進した透天橋に至りました。この下は放生池になっていたのですが今はほとんど水がありません。Sekityumg4349
この先両側にある石柱は楼門の前に建てられていたものでその年代は不明です。この辺の平地にかつては七大伽藍が展開したのです。まっすぐ行くと春日の局と稲葉家代々の墓地なのですが、右の山道に入って鉄牛禅師の供養塔を目指しました。沢が近いせいか道に沢蟹がおりました。テンナンショウやミョウガが沢山目に付きました。Zenjig4360Zenjig4366

「鉄牛和尚の寿塔」は鉄牛和尚六十歳の貞享四年(1687)に紹太寺二世超宗和尚が師の長寿を願って建立しました。

2008年7月 3日 (木)

小田原散歩・紹太寺(1)

小田原ですばらしい古刹にめぐり合いました。入生田の長興山紹太寺です。小田原から箱根登山鉄道に乗り、箱根板橋、風祭そして入生田となります。小田原城の第二代藩主稲葉美濃守正則が父母の冥福を祈るべく宇治の万福寺から鉄牛和尚を招いて開いたもので東西1.9km、南北1.1kmの広大な敷地に展開していたものです。元禄4年(1691)にケンペルが紀行記「江戸参府紀行」に立派な様子を記しています。しかし安政の火事でほとんど焼失してしまい、現在の本堂はかつての子院の清雲院跡地に建てられたものです。時折小雨の降る中を歩きました。Sekityuumg4392
旧東海道に接する総門跡にある石柱は昔の総門で使用された石を積み上げたものらしいです。Cimg4330Hondomg4391

本堂にはケンペルが言及している総門に掲げられていた鉄牛和尚の筆になる長興山の額がまだ残っています。Ajig4389Ajimg4387Ajimg4388Ajimg4390

境内はちょうどアジサイが真っ盛りでした。Kurig4385
庫裏の萱葺きの屋根がことさら美しかった。

2008年6月30日 (月)

目黒八芳園の十三重塔

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先日目黒の八芳園に行きました。思いもかけず立派な十三重塔に出会いました。200年ほど前の元文年間に伊賀の上野で築造されたものだそうです。Kidang4316Akug4312Unng4315Tarakug4314Kirikug4313


二段の基礎の上に反花座を置き、その上の塔身には金剛界四仏であるアク、ウーン、タラーク、キリークの種子を薬研彫りしてありました。

2008年6月29日 (日)

松島、仙台の旅・大崎八幡宮

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宮城県の国宝建造物としては瑞巌寺の他に大崎八幡宮があります。建長9年(1604)に政宗が城の乾の方角に建てたもので、高度の装飾と美しい色彩が印象的でした。石の間が本殿と拝殿をつなぐ権現造りで桃山様式の最古のものです。

2008年6月26日 (木)

松島、仙台の旅・多賀城跡

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陸奥国府多賀城は西暦724年に築かれました。礎石とともに政庁跡が残っていました。Hi1mg4255Hi2g4254

覆屋の中に多賀城碑が保存されていました。壷の碑(いしぶみ)とも呼ばれ西暦762年に建立されたものです。多胡碑、那須国造碑とともに日本の三大古碑とされています。仙石線多賀城駅より東北本線国府多賀城駅から行くのが便利です。歩いて20分程度です。

2008年6月24日 (火)

松山、仙台の旅・雄島(2)

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小高い丘に座禅堂がありました。Cimg4229
堂の脇には二基の板碑があります。中でも正和2年(1313)造立のものは雷文で周囲を囲み上に蓮華に座すア字を配した立派なものです。Raikeng4237
島の南端には宮城の三大古碑の一つ頼賢碑が小堂に守られていました。中には高さ3.3m粘板岩製一寧一山の銘文になる碑があるはずなのですが、残念ながら中を覗き込んでも暗くてよくわかりませんでした。幸い瑞巌寺の宝物館でレプリカを見てきました。Cimg4243Cimg4247Cimg4250


さらに石窟を目にしながら再び渡月橋をわたりました。

2008年6月23日 (月)

松島、仙台の旅・雄島(1)

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朱塗りの渡月橋を渡ります。Bridge_buddhag4194
橋の右手のたもとにはもう石仏が。渡りきって左に曲がると北へ、右に曲がると南へ行くことになります。North4195
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まずは北へ。右手には石窟が並び、沢山の石仏を目にしました。凝灰岩なので彫りやすいのでしょう。Cimg4209
上りきったところからはちかくの島が見えました。

2008年6月22日 (日)

松島、仙台の旅・雄島へ

いったん松島海岸駅に戻り、南東の雄島に向かうことにしました。修行の地で無数の石窟、石造物のあるところです。駅からは右に水族館を見ながら象が鼻岬を経由していくことにしました。Zogahanag4169
すぐに左手に石造物が見つけられました。Jizohallmg4177
左手の小高いところには地蔵堂が。江戸時代初期のもので五大堂のところにあったものが移設されたものです。Jizomg4172
半跏の地蔵像にはいまだに金箔が残っていました。Sekibutug4181Sekibutug4185

道は右手の細い坂道に入ります。道の右手にはもう多数の石造物が現れました。

2008年6月18日 (水)

松島、仙台の旅・天鱗院

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天鱗院は伊達政宗の長女、家康の六男高田藩主松平忠輝の正室、五郎八(いろは)姫が余生を送った寺です。Mausoleumg4150
いったん寺を出て右側の道を上り詰めると仮霊屋があります。Cimg4157Cimg4158Cimg4165


その裏手に回ると五つの石窟があり、政宗の三男宗清、四男宗泰と殉死者、歴代の墓などがありました。Itahig4167
弘安7年(1284)板碑。

2008年6月17日 (火)

松島、仙台の旅・五大堂

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陸地から隙間の目立つ橋を二つ渡ると重文の五大堂です。Hallg4139
坂上田村麻呂がこの地の美しさに魅せられて作られたお堂で、その後五大明王を祭ったためにそう名づけられました。現在の建物は1604年に改築されたもの。Cimg4140Cimg4141Cimg4142Cimg4143

蛙股の十二支が見事です。

2008年6月15日 (日)

松山、仙台の旅・円通院(2)

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胎蔵界大日如来を表わすアを美しいや元彫りで刻した建武5年記銘板碑は素晴らしいものでした。藤原氏の女性が板碑建造により自分の死後の安楽を願ういわゆる逆修作善の碑です。Hallg4110
本堂大悲亭は正保4年(1647) に移築したもので、茅葺寄棟の質素な佇まいです。Gardenimg4121Gardenmg4116

、前庭は伊達藩江戸屋敷の小堀遠州作のものを移設したらしいです。

2008年6月14日 (土)

松島、仙台の旅・円通院(1)

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瑞巌寺のすぐ近くに円通院という庭園の美しい寺を見つけました。二代藩主忠宗の夭折した嫡子光宗の菩提寺です。Pathg4070Pathg4072Cimg4125


茅葺の山門をとおると広い庭園が始まります。Sanedoug4078Zusimg4098

左奥に霊廟の三慧殿があります。中には衣冠束帯姿の光宗の厨子がありました。バラの絵があるのは大変珍しいものです。Cemeteryg4082Cemeteryg4086

右の崖には石窟が沢山穿ってあり、供養塔や墓が収められていました。

2008年6月12日 (木)

松島、仙台の旅・瑞巌寺(2)

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廊下も国宝です。Kuri4065
見事な妻飾りの壮大な庫裏も国宝。色のコントラストも美しい。内部の雲版は重文。Cimg4066
境内の崖もあちこちが石窟になっていました。

2008年6月10日 (火)

松島、仙台の旅・瑞巌寺(1)

いよいよ瑞巌寺に入ります。正式名称は松島青龍山瑞巌円福禅寺。臨済宗妙心寺派です。天長5年(828年)慈覚大師円仁の開創です。伊達家の厚い庇護の下、隆盛を誇りました。Hossinng4041
まず左手に法身窟。ここで鎌倉時代半ば法身禅師と執権北条時頼が出会ったといいます。二基の石碑のうち左は鎮海観音、右は楊柳観音。Nisimong4046
御成門、中門、太鼓塀は重要文化財。Garyu4051Garyug4059

中門から入ると政宗が文禄2年(1593年)朝鮮から持ち帰った臥龍梅といわれる梅の巨木があり。左は白、右は紅となっています。Hondog4049
本堂は入母屋造り、瓦葺きで国宝。京都、根来の大工が技を競い、内部は豪華で素晴らしいものでした。

2008年6月 9日 (月)

松島、仙台の旅・三聖堂

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仙台、松島を旅してきました。仙台から仙石線で40分足らずのところの松島海岸駅で下車。まずは名刹瑞巌寺に向かいました。天和2年(1682)に瑞巌寺101世鵬雲によって建てられた三聖堂。方三間、萱葺きの宝形造りの瀟洒なお堂です。中央に聖観音、左に達磨大師、右に菅原道真を配しているところからそのように名づけられたそうです。扁額は鵬雲の書がそのまま残っています。Cimg4034Cimg4035Cimg4036


瑞巌寺はすぐ近くなのですが入り口近くの左手には石窟がうがってあり、諸石碑も立ち並んでいました。折しも李登輝の句碑も設立されるとかでテントの準備がなされていました。凝灰岩は彫りやすいのでしょう。

2008年6月 6日 (金)

東大寺・御髪塔

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三月堂の近くに法華堂経庫という校倉造りの建物があります。写真左手に写っているものがそうです。この右手にあるのが御髪塔と呼ばれる十三重石塔。釣鐘をつるすために使用された黒髪の縄が供養のために埋められているのだそうです。

2008年6月 5日 (木)

東大寺・若狭井のある閼伽井屋

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毎年3月12日に二月堂で行われるお水取りは有名です。この日、すぐ前の若狭井で汲んだ聖なる水を本尊にささげることになっています。その前、3月12日には遠く若狭の小浜にある遠敷(おにゅう)川で神宮寺神主によるお水送りの儀式が行われます。小浜から奈良までこの水が地下を通って流れ至ると考えられているのです。

2008年6月 4日 (水)

東大寺・伊行末の業績

東大寺再建にあたり長源は中国から石工を呼び寄せました。明州出身の伊行末はとりわけ優れた石造物を残しました。またその子孫の伊派石工も活躍しました。私も般若寺、大野寺などですでに伊派の素晴らしい作品を目にしています。箱根山のすばらしい宝筐印塔に記されている大蔵安氏も伊派の分流である大蔵派の人物なのでしょう。Liong3703
東大寺では南大門の二王像の裏手の砂岩製石獅子が雄大な姿を見せてくれます。つい見過ごされやすいものです。Lanterng3698
法華堂(三月堂)前の高さ2.7mの六角型石灯籠は見事なものです。慶長6年(1254)の銘があります。火袋はその後日本の石灯籠の基本形となったそうです。

2008年6月 3日 (火)

東大寺・賓頭盧尊者

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東大寺に寄ってきました。いつ来てもいろいろな発見があって面白いところです。南大門から入り、あちこち訪れてから転害門から出ていくあたりが面白いと思います。まずは典型的な大仏造りの巨大な木造建築を観察しました。Bing3696
大仏殿の入り口の右に賓度羅跋囉惰闍(賓頭盧尊者)がおられます。十六羅漢の第一でおびんずる様などと親しく呼ばれることが多い。江戸時代のものでとても大きい。悪いところを撫でれば良いのですが大きすぎて頭などにはとても手が届きません。

2008年6月 1日 (日)

六義園

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東京はようやく連日の雨がおさまり、都心は朝は素晴らしい天気と爽やかな空気に恵まれました。午後は少々暑いとさえ感じられるほどで駒込の六義園には沢山の人が訪れていました。池にはコイとカメが沢山。

2008年5月31日 (土)

川口・大間木氷川神社

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清泰寺の近くの赤山街道沿いの氷川神社は静かな落ち着いた良い神社でした。拝殿は1993年の不審火で焼けてしまいましたが、武蔵国一宮氷川神社(大宮市)であった寛文七年(1667)建立の本殿も焼損しましたがその後修理されました。Tikaraisig3724
力石でしょうか。

2008年5月29日 (木)

川口・清泰寺(351基の庚申塔)

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広大で静かな長徳寺も素晴らしいのですが、車で10分足らずのところにある天台宗の慈了山覚源院清泰寺も川口では見逃せない寺です。平安時代初期に円仁が開いたと伝えられています。Cimg3732Cimg3731Cimg3730
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天明3年(1783)と万延元年(1860)に建てられた351基の庚申塔がずらっと並んでいる様は壮観です。大部分は文字が刻されているのですが、青面金剛の像容もありました。Kenshog3736Kenshog3739

武田信玄の娘、穴山梅雪の妻で、二代将軍秀忠の第四子を養育した見性院の墓も墓地の奥にあり県の旧蹟に指定されています。

2008年5月27日 (火)

川口・長徳寺

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川口で落ち着いた雰囲気の良い寺を見つけました。臨済宗の大智山長徳寺。貞治三年(1364)の開山。Cimg3755HaHallmg3748Pagodag3750

三重塔を含む伽藍が変化に富む地形に見事に配されていました。巨石があちこちに組み合わされているのも素晴らしい。東京の私は知らなかったのですが当地では有名らしい。

2008年5月26日 (月)

ロンドンの休日・Natural History Museum

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地下鉄South Kensington駅の地区は博物館がいくつかあります。Science Museum, Victoria and Albert Museumも有名ですがNatural History Museumはいつも面白い。博物学的な興味をいつも満たしてくれます。もともとは1753年にSir Hans Sloaneが膨大なコレクションを残し、大英博物館の一部とされたのに始まります。 1881年にはAlfred Waterhouseの設計したドイツロマネスク調のこの建物で開館しました。080501_217080501_218

いつも展示物に気を取られていましたが建物の細部、たとえば柱の彫刻に至るまで面白いと思いました。

2008年5月25日 (日)

ロンドンの休日・the Temple Church

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Fleet Streetとthe Thamesとの間にTempleと呼ばれる地区があります。ここのthe Temple Churchは十字軍の時代に設立されたテンプル騎士団が1185年に設立したもので円形の身廊circular naveのあるちょっと変わった建築です。入り組んだところにあるので見つけにくいと思います。私がここを知ったのはThe da Vinci Codeでした。Langdonに”The architecture was coarse and simple,more reminiscent of Rome's rugged CastelSaint’ Angelo than the refined Pantheon”と言わせています。小説や映画で有名になって観光客が来ているのではないかと危惧していましたがひっそりとして杞憂でした。

2008年5月22日 (木)

ロンドンの休日・パブSherlock Holmes

昨年秋に行って以来半年振りのロンドンは年々温かくなっているような気がしました。ここからはすぐに帰国できるという気安さもあってゆったりと過ごすことができました。宿はthe Strandにあるホテル、the Savoyの向かいにあり便利なところです。エジンバラから着いた当日はTottenham Court Road近くのギリシャ料理店に行きました。この辺はどこもおいしいのですがいつも行くギリシャ料理店がイタリア料理店に変わっていました。時代の流れでしょうか。Retsinaという松脂の香りのワインは結構良かった。翌日はNational MuseumでHogarthやGainsboroughを見てきました。080501_211080501_213

昼はCharing Cross近くの有名なシャーロックホームズパブで気軽にサンドイッチ。

2008年5月21日 (水)

エジンバラ散策・Canongate Kirk

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The CanongateにあるCanongate Kirkは1688年の設立で、王室がthe Palace of Holyroodhouseに滞在しているときに時々参拝に来ることが知られています。八重桜が美しかった。weeなどを使って衒うこともなく、また強いスコットランド訛りに悩むことなく、地元の新聞The ScotsmanのGaelicの記事をなんとか読もうと努力したりして、楽しく言語生活を送ることもできました。Glasgow, Aberdeen, Stirlingなど寄ってみたいところはいくつかありましたが、Edinburghの旅は無事終了し、帰路、ロンドンを訪ねることにしました。

2008年5月20日 (火)

エジンバラ散策・St Cuthbert's Kirk

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エジンバラ城のすぐ西にSt Cuthbert's Kirkがあります。Cemetery501_183
エジンバラではきわめて古い教会であり対数を考え出したJohn NapierやConfessions of an English Opium Eaterで有名なThomas de Quinceyの墓があります。de Qunceyのこの本は高校生のとき読み異様な読後感が残ったのを覚えています。Cherryblossoms501_181
桜がきれいでした。

2008年5月18日 (日)

エジンバラ散策・the Palace of Holyroodhouse

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遠景に入り江のthe Firth of Forthを目にしながらThe Royal Mileを東に下っていくとthe Palace of Holyroodhouseに到達しました。roodとはthe True Cross、つまりキリストの十字架のことです。英国王室の宮殿として今も使用されています。Maryの秘書Rizzioが夫により殺害されたところです。Abbey01_065Abbey501_070

裏手にあるのが1128年設立のthe Abbey of Holyroodで宮殿はこれに由来します。スコットランドの歴代の王が埋葬されています。今は廃墟となっていました。080501_072080501_073080501_074080501_075

庭園はとても美しい。080501_085
小山のArthur's Seatが望見されました。

2008年5月16日 (金)

エジンバラ散策・The High Kirk of St Giles

エジンバラ城からthe Palace of Holyroodhouseまではまっすぐな下り勾配のthe Royal Mileと呼ばれている広い道でCasltlehill, Lawnmarket, High Street, Canongateと名前が変わっていきます。Rbs031
左手のThe Royal Bank of Scotland本店は町の中心なので良い目印になりました。Giles501_032
少し歩くと右手に立派な教会がありました。854年に設立されたThe High Kirk of St Gilesです。スコットランドの宗教改革者John Knoxのいたところです。現在は立派なゴシックの建物ですが19世紀に整備されたものです。スコットランドは教会にkirkを当てることが多くみられます。明らかにドイツ語のKircheと同語源でしょう。

2008年5月15日 (木)

エジンバラ散策・エジンバラ城

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高さ130mほどの山の上にエジンバラ城があります。7世紀にあった王国Northumbriaの王Edwinが建てたものです。Edinburghという地名自体Edwinのburgh(町、boroughのスコットランド語形でドイツ語のBurgとは同系)という意味です。East501_001
城は三方が急峻な崖となっていて東からのみ比較的容易に入ることができます。Nemo501_004
Nemo me impune lacessitとはラテン語で「何人も害を受くることなくして我を襲わず」の意。080501_028
北方の守りとして大砲が置かれていました。080501_009080501_018080501_020080501_021

St. Margaret`s Tower、the Royal Palaceなどの建物群。


2008年5月13日 (火)

エジンバラ散策・王立植物園

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The New Townの北にあるThe Botanicsと略称される王立植物園(The Royal Botanic Garden)は素晴らしいものでした。Waverley駅からあるいても30分足らずのところにあり、静かな散策に適するばかりではなく英国のplant huntersの活躍を大いに示すものでもありました。080501_109080501_110080501_120080501_126080501_128080501_131080501_135080501_137080501_146080501_148


立派な温室がたくさんありましたが特にThe Orchids and Cycads Houseは珍しいものが多く驚かされました。

2008年5月12日 (月)

エジンバラ散策・王立エジンバラ外科大学

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スコットランドの首都エジンバラを旅しました。British Airwaysで順調に夕方に到達するはずでしたが、ロンドンでの到着が遅れて急遽British Midlandで真夜中に到達することになってしまいました。宿舎はエジンバラ城を間近かに見上げるGrassmarket。外科医と内科医は養成過程も医師会も違います。外科医は1505年にcraft guildとして結成された床屋の団体The Barber Surgeons of Edinburghに初めてまとまることになり、エジンバラ王立外科大学The Royal College of Edinburghが創立されることになります。ここには病理標本や医学史などをわかりやすく展示した博物館があり、2005年にはSurgeons Hall Museumとして医師以外の人々にもわかりやすく整備されることになりました。080501_034
玄関の彫刻。ラテン語でHinc Sanitasと記してありました。「これより健康が出ずる」と訳せばよろしいでしょうか。Campus0501_039
大学構内。Sh0501_042
Museumではなんと卒業生のコナン・ドイルの展示がありました。外科学教授のJoseph Bellはホームズのモデルだったということで有名です。

2008年5月10日 (土)

滝坂道を歩く・地蔵磨崖仏と夕日観音

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江戸時代の石畳がそのまま残る滝坂道を下りました。Cimg3684
右よりに岩が落下していました。よく見ると上から崩落した大日如来坐像で寝仏と呼ばれるものです。Jizog3678
右側のがけを見上げると地蔵立像で川勝先生は「いかにも鎌倉的な磨崖仏の秀作」と表現しておられます。Yuuhig3682
左手のせまい部分を登ると夕日観音に出会うことができました。ちょっとわかりにくいところにありますが諦めないで登ってみることが大切です。Kaerig3688Cimg3692

かくしていつのまにか奈良の町に戻ることができました。

2008年5月 8日 (木)

滝坂道を歩く・朝日観音

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滝坂道を下ってまもなくすると右手の崖に朝日観音が見られます。高円山からの朝日がさすことにより命名されました。観音ではなく実際には中央に弥勒菩薩、両脇に地蔵菩薩が配されていました。

2008年5月 7日 (水)

滝坂道を歩く・春日山石窟群

道から少し脇に入ったわかりにくいところに覆屋と金網に保護された春日山石仏がありました。洞窟内の石仏は凝灰岩を切り出したあとに刻んだもので久寿2年(1155)と平安末期のものです。Jizog3660
Sekibutug3661
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2008年4月29日 (火)

滝坂道を歩く・地獄谷石窟仏

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地獄谷石窟仏には高円山ドライブコースにいったん出てから山道を再び登って到達しました。数年前高円山山頂まで車で登ったことがありますがそのときにはまさか途中に石仏にいたる山道が途中にあるなどとは気づきませんでした。Nam et ipsa scientia potestas est(Bacon, De Haeresiis)金網で囲ってあって接近できず、曇天で樹木が覆っていて、像容はよく確認はできませんでした。接近して調査されたはずの川勝先生自身も中尊が釈迦如来か弥勒如来か確認しかねると仰っているほどですから私にはよくわからないのは仕方がないかも知れません。

2008年4月28日 (月)

滝坂道を歩く・円成寺周辺の石造美術

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円成寺庭園の南、木々の中に、見逃しやすい形で第一重軸部に四方仏の種字を刻する十三重塔と宝筐印塔がありました。Rokujizou3622Cimg3629

東海自然歩道に入って少し歩くと左手に六地蔵があります。その左上には共同墓地が広がり鎌倉期のものとおもわれる立派な五輪塔がありました。Mitimg3637Mitimg3639

ここからは忍辱山に入り石切峠を目指します。

2008年4月26日 (土)

滝坂道を歩く・円成寺の白山堂、春日堂(国宝)

柳生の円成(えんじょう)寺から春日山南麓に沿い滝坂道を下る旅を楽しみました。奈良坂から柳生に向けて車で旅立ちました。途中左に曲がると岩船寺に向かうことができます。Nameg3571
真言宗忍辱山円成寺は万寿3年(1026)命禅上人の開山になる古刹です。Gardeng3576
平安時代後期の浄土式庭園の遺構です。Romonmg3598
楼門は重文。Tahog3582
多宝塔は最近のものですが運慶作の大日如来を拝観できます。Hondog3607
本堂には阿弥陀如来が安置され、円柱には菩薩たちの彩り鮮やかな姿が描かれていました。Shrineg3583
鎮守社として安貞2年(1228)に建造された白山大権現を祀る白山堂(右)と春日大明神を祀る春日堂(左)は最古の春日造社殿として国宝に指定されています。Haideng3589
延宝3年(1675)建立の簡素な拝殿。

2008年4月24日 (木)

長瀞の旅・矢那瀬の石幢

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波久礼駅から車で数分のところ、国道から少しだけ入ったところにある地蔵堂境内に矢那瀬の石幢があります。Sekido0301_098
有名な立川の普済寺の石幢が単制であるのに対して、これは下から基礎、竿、中台、がん部、笠、請花、宝珠といった複雑な構造を有する重制となっています。Mani301_099
いわゆるマニ車があるのが大変珍しい。6jizo301_111
基礎4面に胎蔵界4仏の種字、がん部に六地蔵が刻まれています。明応8年(1499)の建立。Kouyoku01_092
近くに北村西望の疎開していた貞治元年(1362)開山の真言宗高徳寺があるが本堂は焼け落ちて再建されず、そのまま残った石垣が往時の様子をうかがわせています。

2008年4月22日 (火)

長瀞の旅・本邦最大の野上下郷青石塔婆

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ちちぶ鉄道樋口駅の近くに見上げるほどに大きい高さ5.35mの本邦最大の板碑があります。国道140号線から数mほど山よりに入ったところです。川勝政太郎先生は「日本石造美術辞典」で「肝をつぶすほどに大きい」と形容していらっしゃいます。身部上方に荘厳の3点を冠した釈迦の種字バクを蓮座上に薬研彫りで刻んでいました。Koumyou301_085
その下には梵文の光明真言を配していました。Ouan301_084
応安二年(1369)の記銘がありました。

2008年4月21日 (月)

長瀞の旅・積蔵院の青石塔婆三基

関東を中心として広く分布する板碑は長瀞付近から採取される緑泥片岩で作られています。したがってこのあたりにはこの石で作った板碑があちこちに見当たります。Sekizouin301_068
岩畳からは荒川を隔てて対岸に新義真言宗岩倉山積蔵院があります。寺には野上駅ちかくまで迂回して橋を渡っていくしかありません。本堂は明治43年に火事で焼け落ちてしまいました。Haka20301_070Migi0301_073Mannaka80301_072Hidari301_071

この寺の左手の墓地に明治初年近くの蓬莱島で発掘されて三基の青石塔婆があります。元享3年(1323)の建立で弥陀三尊の種字が刻まれています。

2008年4月17日 (木)

長瀞の旅・自生するユキヤナギ

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長瀞を旅しました。荒川はユキヤナギが自生しており、長瀞は自生地としては北限にあたります。岩畳のあちこちに白い花を咲かせていました。厳しい環境に耐えるのですね。ユキヤナギ(バラ科シモツケ属)Spiraea thunbergii 、英名はThunberg's meadowsweet

2008年4月16日 (水)

北摂の旅・野間中の板碑

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地黄の南、野間中の道路際に幅広の板碑があります。暦王4年(1341)の建立で地蔵の種子カが刻されていました。Isibutug3455
近くの阪急「本滝口」バス停の脇にもかわいらしい石仏がありました。かくて北摂の旅を終え、能勢電鉄「妙見口」駅から乗車しました。駅前の店をのぞくとなんとヤーコンが沢山売られているのです。当地の名産とは知りませんでした。丁稚羊羹もあるのには驚きました。

2008年4月15日 (火)

北攝の旅・丸山九重石塔、宝筐印塔

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清普寺から数百メートル離れたところに能勢氏の山城であった丸山城址があります。9img3443
大手口にあたるところに弘安11年(1288)建立の九重塔が_あります。花崗岩製で総高309cm、塔身に金剛界四仏の種子が配されています。Hmg3444Cimg3449

宝筐印塔は延文5年(1360)のもの。反花は典型的な南北朝様式。端の蓮弁を見ると強くむくっています。

2008年4月14日 (月)

北攝の旅・清普寺(せいふうじ)

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地黄には能勢氏の菩提寺清普寺があります。しずかな田園地帯にひっそりと佇んでいました。Yakusig3407
山門をくぐってすぐ右手にあるのは鎌倉時代後期作の薬師如来像。花崗岩ながら摩滅がかなり激しい。Daidaig3427
Daidaimg3411
墓地には能勢氏代々の墓が展開していました。Sankeireng3426
美しい三茎蓮。近江文様がここにも。Cruzmg3431
十字架はかつて能勢氏がキリシタンに好意的であったことを示唆します。

2008年4月13日 (日)

北攝の旅・名月峠

名月姫の悲しい話があります。摂津国御園荘領主三松国春が大日如来に願をかけたところ、仲秋の名月の夜に娘が生まれ、名月姫と名付けました。美しく育った姫は能勢家包に嫁ぎ、幸せに暮らしていました。ところがなんと平清盛がその美貌を知り、姫を自分のもとに呼びつけたのです。姫は途中この峠で自害してしまいました。Cimg3382
峠には二基の五輪塔に挟まれて宝筐印塔が安置されていました。Cimg3383
中央の宝筐印塔は名月姫の墓と伝えられています。隅飾りには散蓮華。塔身の月輪にはウーン(阿しゅく)の種字が刻まれています。Limg3385
向かって左は夫家包(いえかね)の墓と伝えられています。Rmg3384
右は父三松国春の墓と伝えられています。

2008年4月11日 (金)

北攝の旅・月峯寺の阿弥陀石仏

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高さ785メートルの剣尾山頂に推古朝の時代に歴史を遡る月峯寺は49余もの院坊を抱えて隆盛を誇っていましたが天文14年(1545)にことごとく焼け落ちてしまいました。その後寛文4年(1664)に現在の地に移り、整備されていきました。6img3362Midag3364Midamg3363


本堂左手の6基の阿弥陀仏像もここに移されてきたものです。洗練された作風から京都系の石工によると考えられています。一つに文安4年(1447)の銘があります。

2008年4月10日 (木)

北攝の旅・観音寺の宝筐印塔と名号板碑

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今西から見て田畑の広がる平地の向こう側に真言宗の妙知山観音寺がありました。Cemeteryg3350
坂を登って境内に入り右手の墓地に入りました。Hokyog3342Hokyo3343

南北朝期の宝筐印塔です。石英閃緑岩製で塔身には月輪を刻み、東面にウーン(阿しゅく)、南面ウーン(薬師)、西面キリーク(弥陀)、北面バク(釈迦)の種字が記され、隅飾りには渦紋があってこのあたりの猪名川流域の特徴を示し、基壇には繰形が見られます。Itahimg3344
名号板碑は天文23年(1554)の建立で身部中央に南無阿弥陀仏の六字名号が刻まれています。

2008年4月 9日 (水)

北攝の旅・今西墓地六地蔵板碑

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街道から見て能勢町立岐尼小学校の左手の細い道を登っていくと寂しい細い山道になります。途中右に曲がるところもありますがそのまま直進して山をぐんぐん登っていくと突然6基の地蔵板碑と一基の弥陀板碑が現れます。いずれも南北朝中期のものです。道智と如心なる夫婦が七世先祖、それぞれの亡き両親ならびに自分たちの逆修のために建立したものなのです。Botimg3327
さらに登ると墓石もない墓地がありました。Hyojig3325
「免許墓地埋葬場」なる表示はかつてここでは土葬が行われていたことを示すものでしょう。

2008年4月 8日 (火)

北攝の旅・蓮華寺五輪塔

いよいよ能勢に入りました。この辺りは能勢頼次が日乾上人に帰依したためにほとんどの寺が日蓮宗です。Sanmong3304Hondo3294

広栄山蓮華寺ももとは浄土宗であった光明寺が日蓮宗に改宗したものです。Goring3292Suiring3296

山門を入ってすぐ左手の墓地に素晴らしい五輪塔がありました。花崗岩製で高さは217cm、水輪が完全な球体ではなくて下が少しすぼまっているのが印象的です。火輪の軒反りは力強くて鎌倉様式の典型です。Shoinnniwag3301Hokyo3299

境内右手の書院の庭には建武4年(1337)建立の宝筐印塔がありました。

2008年4月 7日 (月)

北攝の旅・多田神社

Entranceg3248
多田神社を訪れました。阪急電鉄宝塚線「川西能勢口駅」で能勢電鉄乗り換え、「多田」駅で下車し1kmほど歩いたところにあります。第五十六代清和天皇の曾孫源満仲公の他、頼光、頼信、頼義、義家を祀っており、清和源氏発祥の地と言われています。清廉な感じの境内が印象的でした。社殿は第四代将軍綱吉の再建になるものです。Zuising3249
重文の随身門。Haideng3255
拝殿も重文で寛文7年(1667)の建立。Hondeng3263
本殿も重文で寛文7年(1667)の建立。Cimg3273
ムクロジの大木がありました。

2008年4月 6日 (日)

北攝の旅・若王寺宝筐印塔(池田)

北摂の能勢を旅しました。大阪にもこれほど静かなところがあるのかと驚くほどの静かな山里でした。新幹線新大阪駅から東海道本線大阪駅に移動し、阪急宝塚線に乗り換え、池田に宿を取りました。Gate3234
池田市にも興味ある寺社、石造物、古墳などが多いのですが、鉢多羅山釈迦院若王寺の重要美術品の宝筐印塔だけ訪れました。Wholeg3237Sannkeig3239

後補の相輪部を含めて高さは1メートルと少しで大きいものではありません。正安元年(1299)の銘があり格狭間に三茎蓮華文が刻されています。近江式文様がここまで広がってきたのでしょう。

2008年4月 5日 (土)

北武蔵探訪・千手院墓地(本川俣)

羽生市本川俣の千手院に行きました。寺は利根川の高い土手の脇にあり、その前の墓地には三基の板碑があります。高い土手のなかったころはよく洪水で冠水したことでしょう。Akirikmg3085
高さ144cmで胎蔵界大日如来の種字アと阿弥陀の種字キリークが刻されています。嘉暦3年(1328)の設立Kirikg3086
すぐ左に並んでいるもので弥陀三尊の種字がありました。Ag3087_2
方形の輪郭にアが刻されていました。嘉暦4年(1329)の造立。Gateg3080Stonybuddhasg3083Hallmg3081


千手院は延暦18年(799)に勝道上人が開基したと伝えられている古刹で境内の右手には地蔵菩薩や青面金剛の像などが並んでいました。信仰心の篤いとことだと思いました。

2008年4月 4日 (金)

北武蔵探訪・毘沙門堂板碑(羽生)

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Tyuuhukug3106
羽生駅のすぐ北に古江宮田神社があります。この神社は毘沙門山古墳と呼ばれる前方後円墳の上に建てられていてそのすぐ下の境内には毘沙門堂もあります。古墳を上がろうとしたところに高さ259cm、幅185cmの巨大な板碑があります。高さはこれを上回るものがありますが幅は真に広い。勿論緑泥片岩。将軍塚古墳の玄室への通路の天井も緑泥片岩だったことを考えると古墳の石材を流用したものでしょうか。建長8年(1256)の作で釈迦の種字バクと阿弥陀の種字キリークが薬研彫りで刻まれていました。Shadenn_g3105
古墳の上の後円部にはシーソーやブランコの設置された小公園になっていて面白く感じました。写真はブランコに乗りながら社殿方向を撮ったもの。

2008年4月 3日 (木)

北武蔵探訪・さきたま古墳公園

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行田市には古墳が点在していますが。とくに大型の古墳が集中しているところがあり、「さきたま風土記の丘」として整備されています。併設された「県立さきたま史跡の博物館」には国宝の「金錯銘鉄剣」をはじめ多くの貴重な出土品が展示されています。Cimg3073
前方後円墳の上で撮りました。先に見えるのが「後円」の部分。明るい陽光の元、楽しい散策の場となりました。食堂で売られていた行田市の名物あつあつの「ゼリーフライ」の意外なおいしさにも驚きました。

2008年4月 1日 (火)

北武蔵探訪・宝蔵寺、前玉(さきたま)神社

行田市Hozog3058
持田の真言宗豊山派宝聚山宝蔵寺は900年頃に鑁阿上人を開基として設立された古刹です。ここにキリークとウーンを種字とした二基の板碑があると聞きましたがもはやありませんでした。どうやら板碑を多数収蔵する佐間の行田市史料館に移動したものと思われます。墓地の入り口には弥陀の種字キリークを刻した板碑がありました。Cimg3065Cimg3067

さきたま古墳群に前玉(さきたま)神社があります。これが「埼玉」と関係あるらしいのです。以下は社頭掲示板の記述です。「明治4年11月14日、現在の県域に「埼玉県」と「入間県」を設置するとの太政官布告が出された。これが埼玉県の誕生である。以後、幾度かの変遷を経て明治9年8月に現在の埼玉県の区域が定まった。「埼玉」が県の名称とされたのは、当所の県の管轄区域の中で、最も広いのが、埼玉郡であったことによる。埼玉郡は、律令による国郡制度が発足した当初から設置された郡と見られ、当初は前玉郡(さきたまぐん)という表示も行われ、正倉院文書神亀3年(726)の山背国戸籍帳には「武蔵国前玉郡」の表記が見える。また、延喜式神名帳にも埼玉郡の項に「前玉神社二座」とある。ここ行田市埼玉の地は、巨大古墳群の所在地であり、また「前玉神社」の鎮座する場所である。おそらく埼玉郡の中心地であったと考えられるので、ここに碑を建て、県名発祥の記念とする。」

2008年3月31日 (月)

北武蔵探訪・南河原石塔婆(観福寺)

熊谷、行田、羽生と板碑や古墳を訪ねてきました。まず熊谷駅で降車して、静かな農村の中にある高野山真言宗慈眼山観福寺に行きました。Cimg3056
この地を支配していた私市党の首領で源平の争乱で討死した河原太郎高直、次郎忠家兄弟の供養碑と言われる二基の板碑が立派な覆屋に収蔵されていました。Zoyo3054
高さ187cm。文永2年(1265)の記銘があり脇侍を伴う地蔵菩薩が線刻されていました。Cimg3055
高さ236cm。文応2年(1261)の記銘で阿弥陀如来の種字キリークが上部に、阿弥陀三尊の像容が下部に線刻されていました。埼玉県行田市大字南河原1503

2008年3月29日 (土)

京都・芬陀院(ふんだいん)庭園

雪舟寺の別名を持つ芬陀院も東福寺の塔頭です。一条家の菩提寺になっています。Cimg3220Cimg3221Cimg3222


鶴亀の庭は雪舟によって寛正,応仁のころ作庭され、重森三玲により復元修理されました。山口の常栄寺の庭園も雪舟作であったのを思い出しました。「芬陀」とは白い蓮を意味するpundarika(芬陀利華)に由来するものらしいです。Cimg3224

2008年3月28日 (金)

京都・霊雲院庭園

霊雲院は明徳元年(1390)に岐陽方秀によって開かれ、東福寺の塔頭です。Iaimg3227Iaig3228

重森三玲修復になるもので「九山八海の庭」と称し、中央に遺愛石が配されています。「九山八海」とは須弥山を中心とした九つの山と八つの海からなる世界を意味しています。「遺愛石」とは肥後藩主細川氏から送られた須弥台と石船のことを言います。Cimg3229
小書院から茶室観月堂にかかる庭を「臥雲の庭」と呼んでいます。

2008年3月27日 (木)

京都・東福寺庭園

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泉涌寺から東福寺へ行くには悲田院を経由して階段のある坂を下って20分ほど歩きます。悲田院は貧窮者、孤児の救護施設として聖徳太子が四天王寺に設立したものが最初です。当地の悲田院は泉涌寺の塔頭になっています。ここから京都の町が見渡されます。Cimg3207Cimg3208Cimg3209Cimg3211

東福寺の方丈庭園は1939年に重森三玲が作庭したもので現代的な感覚の感じられるものです。重森の作品としては本年1月15日の龍蔵寺、19日の常栄寺の各庭園を紹介したばかりです。

2008年3月26日 (水)

京都・泉涌寺庭園

泉涌寺は皇室の菩提寺で御寺とも呼ばれています。京都駅から歩いても行ける近場にあるのに不思議なほどの静寂に包まれていて私のとても気に入っているところです。山門から伽藍には下っていくのがなんとも珍しいです。1img31843img31864img3187


林泉形式の庭園は月輪御陵の前庭と御座所の庭を兼ねて元禄年間に造られたものです。2img3185
中央の雪見灯籠は仙洞御所より移されたもので第119代の光格天皇が特に好まれたそうです。開き気味の脚、八角系の中台と火袋となって頂上に宝珠が乗り、均衡がとれていて泉涌寺型と呼ばれるものです。塀の向こうに見えるのは月輪御陵で四条天皇をはじめとする二十五帝陵、九御墓、五灰塚等と孝明天皇陵、英照皇太后陵などがあります。明治期の神仏分離令以前は塀も無く庭園と自然につながっていたと聞きます。

2008年3月25日 (火)

京都・雲龍院庭園

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泉湧寺塔頭の雲龍院は泉湧寺山門を入ってすぐ右に入って2,3分のところにありました。応安5年(1372)に北朝方の後光厳上皇による創建で本尊は薬師如来です。Cimg3192Cimg3193Cimg3196


広く明るい静かな庭園が魅力的です。台所に大黒天像があります。つい見逃してしまいますから要注意です。あの穏やかな姿ではなくシヴァの憤怒の相を表したちょっと怖いものです。

2008年3月24日 (月)

京都・来迎院

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今熊野観音の欄干橋の手前を右に上がっていくと泉湧寺塔頭である来迎院に至ります。この辺もとても静かなところです。空海が大同元年(806)に開基したと伝えられています。その後唐藤原信房が泉湧寺第四世月翁和尚に帰依して整備したものです。Hall1g3161Hallg3159

荒神堂には重文の本尊荒神坐像とその眷属護法神五躯が安置されています。大石良雄が山科に浪宅を構えたときにこの寺から請文を受けたことから赤穂浪士の遺品がいくつか残っています。Aquag3158
空海が独鈷を用いたところ水が湧いたそうです。茶席「含翠軒」で庭園を眺めながら抹茶とお菓子をいただきました。

2008年3月23日 (日)

京都・今熊野観音

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泉涌寺関連の広大な敷地を歩いてみるのも面白いのに気づきました。山門の手前を左に下っていくと今熊野観音寺があります。泉涌寺の塔頭で西国33ヶ所観音霊場第15番目の札所にもなっています。応仁の乱で伽藍は消失しましたが、その後再建され、本堂には空海の作と伝えられる十一面観音があります。京都駅まで歩いていけるようなところなのに突然静謐な環境に飛び込んでしまい驚きました。郭公の名所として知られているそうです。Iseidog3150
33箇所めぐりのお堂が続くその上に医聖堂と呼ばれる多宝塔がありました。近世の原益軒、前野良沢、杉田玄白、華岡青州、高野長英、緒方洪庵などの著名な医学者の他に解剖学者で京都大学総長も務めた平澤興(生家のある新潟県味方村にも行きました)などの名もありました。

2008年3月21日 (金)

京都・覚勝院墓地宝筐印塔(重文)

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清涼寺の北面に接して覚勝院墓地があります。覚勝院はここから少し離れた大覚寺の塔頭で正平年間の創建です。墓地周辺はほとんど人通りのなく、覚勝院墓地である旨の表示もありません.Cimg3110_2Cimg3111Cimg3118


木戸を開けると中央の奥に重要文化財の宝筐印塔が立っていました。高さは226cm、花崗岩製。塔身は彫りくぼめられた月輪内に、連座上の四方仏が半肉彫りされていました。

2008年3月20日 (木)

京都・清涼寺のお松明式

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清涼寺(嵯峨の釈迦堂と言ったほうが京都では通じるようです)には先月行ったばかりなのですが、有名なお松明式があるというので再訪しました大文字送りや鞍馬の火祭と並んで京都三大火祭として知られています。3月15日の涅槃会の法要のあと、午後8時半に三基の大松明(2.1丈、2丈、1.9丈)に火がつけられその年の稲作の豊凶が占われます。今年は前日の雨のせいか火付きが悪く凶と出たという話でした。この静かな嵯峨野にどこから来たかと思われるほどの人の出でした。境内の店の栗ぜんざいとあぶり餅はおいしかった。境内には興味ある石仏などが多く、庭園も立派でよいもので昼もゆっくり楽しめるところです。この日には涅槃絵も公開され、滅多に見られないものを鑑賞することができました。

2008年3月19日 (水)

大分市の石仏探訪・南太平寺伽藍石仏

久大本線古国府駅から歩いて10分程のところに南太平寺伽藍石仏があります。上野丘を南に回りこんだところで台地を少し登ったところにあります。Kitukig3001
寛永年間(1624-1643)島根県の杵築大社(出雲大社)を分霊して建てられ、祭神を大己貴命とする杵築社の向かいです。この地には昔太平寺という寺院があったそうです。Cimg2991Cimg2993Cimg2994


三つの石窟があり、右端には入り口に不動明王、多聞天、奥に阿弥陀三尊が、中央には阿弥陀如来坐像が、左端には三小龕があります。大分市南太平寺5組

2008年3月17日 (月)

大分市の石仏探訪・岩屋寺石仏

元町石仏から南西へ300mほど行くと岩屋寺石仏があります。平安時代後期11世紀中頃から12世紀に造立されたようです。地質が脆く損傷がかなり進行していました。Sekibutu1g2990Sekibutug2985

右端は日本で一つしかない石造の十一面観音菩薩です。Senbutugang2987Senbutugann1g2989

千仏龕も珍しいものです。大分市上野丘東。

2008年3月16日 (日)

大分市の石仏探訪・元町石仏

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阿蘇山の凝灰岩は大分市にも及び、市街地地区にも磨崖仏が点在しています。駅から車で数分、国道10号線から少し入ったところに覆屋内に大分川の河岸段丘上野丘台地の崖に刻した元町石仏があります。岩薬師、元町薬師の別名もあります.Buddhag2979
12世紀(平安時代後期)の作と考えられており、台座とともに高さ3.82mの堂々としたものです。不動明王や脇侍などを従えています。地質が脆いので樹脂の含浸など風化、損傷を防ぐ工夫が施されたようです。大分市元町2組

2008年3月14日 (金)

臼杵の旅・下山古墳の石甲

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熊崎駅南東の山中に前方後円墳たる下山古墳があります。5世紀中ごろのものです。二体分の人骨を収めた家形石棺が発見されていますPenisg2972
前方部と後円部の境に石甲と呼ばれるものが一基置かれています。山の中にこんなものが忽然として現れたらびっくりします。甲冑姿の武人だというのですが私にはまったく違ったものに見えてなりませんCimg2973
日豊本線熊崎駅は無人ではありませんでしたが風情のある駅舎でした。

2008年3月13日 (木)

臼杵の旅・珍しい石甲(臼塚古墳)

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臼塚古墳は前方後円墳で後円部に臼杵神社の社殿が建立されています。2mg2946_21img2947Cimg2948


鳥居をくぐって境内に入ると右手に覆屋があり、石甲とか短甲型石人と呼ばれている頭部を欠く甲冑に身を固めた武人の石像があります。わずかに赤い塗料が残っていました。臼と杵に見立てられて臼杵という名称となったという説があります。これは非常に珍しいもので他には近くの下山古墳にしかないようです。Cimg2952
人骨を収納した石棺も見つかっています。ここから十数分歩くと日豊本線熊崎駅に到達できます。

2008年3月11日 (火)

臼杵の旅・満月寺

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Nioumg2909
古園石仏群の向かいの山麓にある満月寺は是非行かねばなりません。まずはかつての洪水によるものか下部が埋もれ、霊石として鼻などあちこちを削られた異様な風貌の木原石仏と呼ばれる仁王像が目に入りました。5mg2911
重要なのは五重塔。第一重軸部に輪郭がとられており、豊後地方の特色なのだそうです。正和4年(1315)造立。塔身4面に蓮華座の上に月輪を配しそれぞれに金剛界四仏の種子が刻されています。Hutarig2915
崖には石仏を彫らせた真名野長者夫妻石像 がありました。室町時代の作らしい。Cimg2916
満月寺の開基で石仏を彫った蓮城法師が左にありました。

2008年3月10日 (月)

臼杵の旅・臼杵石仏群(5)古園石仏群

古園磨崖仏は中央の金剛界大日如来の頭部が落下してしまっているので有名だったのですがそのご復旧されてその気品ある姿を見せています。凝灰岩はもともと脆くて風化が進みやすいため、アンカーボルトを打ち込んだり、樹脂を浸透させて石質硬化が図られました。Nioumg2897
まず目に付くのは仁王像。Dainitig2904Cimg2899

そして大日如来を中心とする石仏群。

2008年3月 9日 (日)

臼杵の旅・臼杵石仏群(4)山王山石仏群

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日吉神社下の階段を下りてまもなく山王山石仏が右手上方に見えてきます。Cimg2892
薬師、阿弥陀、釈迦の三如来と言われています。ふっくらとして柔和な印象です。Hokig2894
向かいにホキの石仏群が見えました。

2008年3月 7日 (金)

臼杵の旅・臼杵石仏群(3)日吉神社

中尾五輪塔から尾根道に沿って歩くと日吉神社に到達します。Gorinng2887
神社を見下ろす少し手前の右手の林内に日吉社の五輪塔といわれるものがありますが見逃しやすい。平安末期から鎌倉初期のものと考えられています。詳細はわかりませんがひっそりとあるのが宜しい。Hiyosig2885Dohyoug2884

境内には土俵もありました。Toriig2932
石仏群への道路入り口に深田の鳥居といわれる鎌倉か室町時代の豊後で最も古いとされる鳥居があります。凝灰岩製で柱脚が太く、臼杵川の度重なる洪水で下部が埋もれており、日吉神社と関連があると考えられています。

2008年3月 6日 (木)

臼杵の旅・臼杵石仏群(2)本邦最古級中尾五輪塔

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ホキ石仏群のすぐ左脇を回りこんで登る山道があります。うっかりすると見過ごすほどの狭い道です。ずっと登っていくと石仏群の上に出られます。ここに覆屋で保護された大小二つの凝灰岩製の五輪塔があります。おりしも梅が咲き始めていてとてもよい雰囲気でした。Shoug2877
向かって右の小さな塔は承安2年(1172)の銘。Daig2876
向かって左の大きい塔は嘉応2年(1170)の銘。我が国最古の五輪塔は平泉中尊寺の釈尊院墓地にある仁安4年(1169)のものですからそれに次ぐ極めて古いものと言えます。二基とも重文です。

2008年3月 5日 (水)

臼杵の旅・臼杵石仏群(1)ホキ石仏群

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臼杵駅から石仏までは8,9kmで遠くはありません。炭焼き上がりの豊後一の長者満野長者が造立したと伝えれています。国宝に指定されてからは国道10号線は整備されて行きやすくなったそうです。昭和のはじめには宇佐美さんというかたが私設案内所を設けていらしたという話ですが今も土産品売り場と食堂の入った立派な建物を構えていらっしゃいました。受付で拝観料を支払いまずはホキ石仏に向かいました。立派な覆屋で保護されて目の前に大きな石仏群が屹立しているのを目にすると、感動するものです。Cimg2864
石仏群の前には多数の五輪塔も目にしました。

2008年3月 4日 (火)

臼杵の旅・龍原寺三重太子塔

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臼杵を訪れました。もちろん臼杵石仏探訪が主な狙いです。昨年11月に訪れて以来久しぶりの大分です。宿舎を取った大分駅から臼杵までは日豊本線で40数分。石仏までいく途中で見つけたのは浄土宗総本山知恩院末の紫雲山花楽院龍原寺の三重太子塔。市街でひときわ目立つ立派な建造物で安政5年(1858)竣工。Ama2846_2Amag2847_2

一層の軒裏にいるのが天邪鬼で一生懸命に支えている様子が面白いと思いました。

2008年3月 2日 (日)

正福寺地蔵堂(東村山)

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村山の正福寺地蔵堂に行ってきました。東村山駅から10分ちょっと歩けばいいでしょう。東京都で唯一の国宝建造物です。以前にもこのブログで紹介したことがあります。この端正な美しさに引かれてどうしてもときどき来てしまうのです。禅宗様建築の典型として、屋根の反り、扇垂木、礎盤、火灯窓、桟唐戸などを観察するのもいいでしょう。Dsc_0019
本堂は古くはありませんが整った美しさがあります。境内左手にある東京都最大の板碑も見ものです。ここから20分足らずで板碑を多数所蔵している徳蔵寺に行けます。

2008年2月29日 (金)

冬の京都・西本願寺唐門

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西本願寺と言えば浄土真宗本願寺派の本山。京都駅に近いのですが意外と訪れることは少ないものです。ここの唐門(国宝)は以前から行きたいと思っていました。檜皮葺き、唐破風の四脚門で豪華な装飾が施されたすばらしいものでした。伏見城の遺構といわれています。

2008年2月28日 (木)

冬の京都・東寺

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折しも五重塔の内部を拝観できるというので東寺を訪れました。瓢箪池で亀がのどかに日向ぼっこをしていました。Cimg2825
南大門は三十三間堂西門を移築したもので桃山建築の代表。Kondog2813
金堂も和様、禅宗様、天竺様の折衷様式の堂々たる建築。Gojug2828
五重塔は寺の外から写すのも結構いいものです。内部の心柱は大日如来に見立ててあり、壁、柱、天井に至るまで綺麗に描かれていました。これほど見事なものだとは知りませんでした。

2008年2月27日 (水)

冬の京都・知恩院(2)

方丈庭園を登りきったところから木戸を開けると墓地に出ることができます。Sen1mg2771Asen2mg2772

左に曲がったところにあるのが千姫の供養塔。Seisimg2777
右に行くと法然が終焉まで念仏を唱えた享禄3年(1530)再建の勢至堂です。Kyouzoug2727
そこから降りると元和7年(1621)建築の経蔵があります。裳階があり和様と禅宗様の両者の建築で中に入ると一切経を入れた立派な輪蔵が回転の出来るようにおかれていました。ネパールやブータンなどのマニ車にも見られますが回すと経を読んだのと同じ効果が得られるということです。天井に至るまで美しい絵画で飾られていました。Kanemg2732
巨大な梵鐘は重さ70トンで寛永13年(1636)の鋳造で重文。

2008年2月25日 (月)

冬の京都・知恩院(1)

経蔵と勢至堂の内部を公開していると聞いて浄土宗の総本山知恩院を訪れました。八坂神社、円山公園そしてこの知恩院に連なります。境内は広く、中腹にも広がって立体的で、多くの人が訪れるのですが、それでも余裕があって落ち着きを感じる古刹で気に入っています。Sanmong2739
Sanmong2741
山門ではなく三門というのですが空、無相、無願の悟りに通ずる三つの解脱の境地を表わす門(三解脱門)という意味なのだそうです。元和7年(1621)の建造。Gardeng2751Gardeng2762

まずは大方丈小方丈を巡る庭園です。Upperg2765
上に上がると京都が一望できました。

2008年2月22日 (金)

冬の京都・大沢池石仏群

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大沢池は洞庭湖を模して造られた 嵯峨天皇の離宮「嵯峨院」の苑池です。5butug2704
この北畔に石仏群があります。主に胎蔵界大日如来を中尊とする胎蔵界五仏と考えられています。向かって左から定印阿弥陀如来、定印阿弥陀如来、胎蔵界大日如来、釈迦如来、薬師如来が並びます。Cimg2706Cimg2711


2008年2月21日 (木)

冬の京都・清涼寺(2)

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境内左手には1700年に建立した多宝塔があります。Hokyo1entranceg2686Hokyo1g2684

このちょうど裏手に木立に囲まれているのが源融の墓と伝えられる宝筐印塔です。2toug26875ring2688Hokyo2g2689


その北の玉垣に囲まれて右に嵯峨天皇の墓と伝えられる宝筐印塔、左に檀林皇后の墓と伝えられる層塔がありました。

2008年2月18日 (月)

冬の京都・宝筐院

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清涼寺山門左手の土塀を回ったところに臨済宗の善入山宝筐院があります。Hondog2656
訪問者もさほど多くはない静かな寺院で、美しい庭園があります。Nig26583mg2661Cimg2662


ここにはそれぞれ楠木正行(正成の子)と足利義詮の墓と伝えられる五輪石塔と三層石塔があります。

2008年2月16日 (土)

冬の京都・祇王寺

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二尊院から愛宕街道を念仏寺に向かう途中を左折した奥に祇王寺があります。苔むした美しい庭のある静かな小さな寺ですが、人気のあるところです。明治期に当時の京都府知事の別荘の茶室が移築された草庵もなかなか風情があります。Otoug2638
その左脇の崖淵に祇王、その妹祇女、母刀自の墓といわれる三重塔と平清盛の供養塔といわれる五輪塔が静かに立っていました。Sanjug2636
三重塔は鎌倉中期のもので初重軸部には四仏が彫ってあります。Cimg2637
五輪塔は鎌倉後期のもので水輪に金剛界四仏の種子が彫ってあります。天草本平家物語巻二の清盛の祇王に対する寵愛ぶりと仏御前の登場のくだりです【右馬。 さてまことに誰にも彼にも清盛は難儀をかけた人ぢやの? また其の祇王が事をも聞きたい。お語りあれ。
喜。 長い事なれども申さうず。清盛はこのやうに天下をたなごころに握られたによつて、世間の誇りをも憚らず、人の嘲りをもかへりみいで不思議な事のみをせられてござる。たとへばその頃都に聞えた白拍子の上手に祇王・祇女ぎによといふ姉妹おととひの者がござつたが、とぢといふ白拍子の娘であつた。姉の祇王を清盛の愛せられたによつて、妹の祇女をも世上の人がもてなす事は斜なのめならなんだ。母とぢにも好い家を作つてとらせ、毎月ぐわちに百斛こく百貫を送られたれば家内けない富貴ふつきして樂しいこと限りなかつた。京中の白拍子ども祇王が幸のめでたい樣やうを羨む者もあり、そねむ者もあり、まち\/であつた。うらやむ者共は、「さても果報な祇王やな! 同じ遊女あそびをんなとならば、誰も皆あのやうでこそありたけれ。あはれ、これは祇ぎといふ文字を名についたによつてこのやうにめでたいか。いざ我等もついて見め。」というて、或は祇一とつき、祇二とつき、或は祇福、祇徳などといふものもあつた。また嫉む者共は、「なぜに文字により名にはよらうぞ? 幸は前世の生れつきでこそあれ。」というて、つかぬ者も多かつたと申す。
さうして三年目にまた都に聞え渡つた白拍子の上手が一人できたが、加賀國の者で、名をば佛と申した。年は十六でござつた。昔から白拍子もあつたれども、このやうな舞は未だ見ぬというて、京中の上下じやうげもてなす事はかぎりがなかつた。】

2008年2月15日 (金)

冬の京都・あだし野の念仏寺

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二尊院から十数分も歩くと浄土宗の化野念仏寺です。空海がこの付近に野ざらしになっていた遺体を供養したことに始まる寺です。周辺の石仏を集めた結果このような膨大な数に達しました。このような風景を初めて見たときにはどっきりとするでしょうが、他にも湖東の引接寺、蒲生野と石塔寺でも見かけられます。化野というと必ず、徒然草第七段が思い出されます。高校生のときにこれを読みましたが、世のはかなさを感じただけでなく、人は40歳にちょっと足らないくらいで死ぬのが適当だという言葉には驚いたのを覚えています。【あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の煙立ち去らでのみ住み果つる習ひならば、いかにもののあはれもなからん。世は定めなきこそいみじけれ。 命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。かげろふの夕べを待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年を暮すほどだにも、こよなうのどけしや。飽かず、惜しと思はば、千年を過すとも、一夜の夢の心地こそせめ。住み果てぬ世にみにくき姿を待ち得て、何かはせん。命長ければ辱多し。長くとも、四十に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ。 そのほど過ぎぬれば、かたちを恥づる心もなく、人に出ヰで交らはん事を思ひ、夕べの陽に子孫を愛して、さかゆく末を見んまでの命をあらまし、ひたすら世を貪る心のみ深く、もののあはれも知らずなりゆくなん、あさましき。】

2008年2月14日 (木)

冬の京都・二尊院(2)

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二尊院は裏手の墓地が面白いのです。一番上の北に当たるところにいわゆる三石塔があります。三帝陵とも呼ばれています。向かって右から十三重塔、五重塔、宝筐印塔が並んでいます。それぞれ嵯峨天皇、土御門天皇、後奈良天皇の塔と伝えられています。Cimg2593
京都の豪商で大堰川、富士川、高瀬川、天竜川等の開削や琵琶湖疏水の設計などで知られる角倉了以(1554~1614) の墓です。Itotogaig2575
伊藤仁斎の長子で儒学者の伊藤東涯(1670-1736)の墓です。他にも、三条家、鷹司家の墓など見るべきものがかなりありました。

2008年2月13日 (水)

冬の京都・二尊院(1)

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二尊院の堂々たる山門から入ると広い参道が目の前に広がります。小倉山山ろくに展開する雪景色が幻想的な美しさでした。Cimg2571
重要文化財の室町時代建立の本堂も美しい姿を見せていました。私が興味を持っているのは堂宇後方に展開する石造物です。Cimg2580
本堂右脇の石段を上り詰めると正面に法然上人の廟といわれる小さな建物が現れます。Cimg2581_2
花崗岩製の丁寧に作られた空公行状碑が中に安置されています。実際には二尊院を再興した湛空上人の碑です。寧波出身の梁成覚の作であることが銘記されています。13世紀後半のものでしょう。有名な伊派の伊行末と同時代同郷の石工なのが興味深いです。当時かの地から多くの優秀な石工が日本に到来して活躍したのでしょう。

2008年2月12日 (火)

冬の京都・野宮神社

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嵯峨野を歩きました。いつものとおり特に石造美術を訪ねる旅となりました。JR嵯峨嵐山を降り、天竜寺脇の竹林を通り、二尊院に向かいました。雪の風景を見たかったのです。Toriimg2540Hallg2541

途中野宮神社に差し掛かりました。天皇の代理として伊勢神宮に仕える皇女(斎王)が身を清めたところです。あの樹皮のついたクヌギの黒木鳥居は久しぶりでした。クヌギ特有の荒々しい樹皮が印象的でした。Kuromojimg2549
小柴垣はクロモジなのだそうです。高級楊枝の用材ですね。

2008年2月 7日 (木)

山口の旅・重要文化財渡辺翁記念会館

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山口の旅の最後に訪れたのが渡辺翁記念会館でした。宇部市の産業発展に寄与した渡辺祐策氏の功績を記念し、氏の関連した宇部セメント他7の事業体の寄付により建てられたものです。日生劇場などで有名な村野藤吾の設計により昭和10年に着工し、2年後に竣工しました。「意匠的に優秀なもの」で「歴史的な価値が高い」として重要文化財に指定されています。訪れたときは休日に当たったせいか利用されておらず内部に入ることができませんでしたが内部も精緻な設計が施されているそうです。宇部市朝日町8-1

2008年2月 6日 (水)

山口の旅・珍しい干潟様式の宗隣寺龍心庭

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長府から宇部に向かいました。空港の手前に臨済宗宗隣寺があります。毛利藩家老で宇部領主福原氏の菩提寺です。Hallg2428
本堂は平成10年(1998)に再建されたもの。Cimg2431Cimg2432Cimg2433_2


龍心庭は国の名勝に指定されています。水の増減で二段式の池が見え隠れする干潟様式をとっています。干潟様式は他には岩手県平泉の毛越寺しかありません。南北朝時代に築庭された山口県最古のものです。夜泊石(岸辺近くに転々と浮石のように並ぶもので。護岸の間に船を引き入れるとされている)風の八個の立石が二列に並んでいます。宇部市小串210

2008年2月 5日 (火)

山口の旅・和同開珎鋳銭所跡地に立つ覚苑寺

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長府毛利家第三代綱元が建立した黄檗宗の寺院。裳階があり明の黄檗建築様式としては典型的なものだそうです。和同開珎鋳銭所跡地に立っています。ここでその鋳型が寛永年間に見つかりました。 下関市長府安養寺3-3-10

2008年2月 4日 (月)

山口の旅・巧山寺宝筐印塔

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巧山寺仏殿の右脇の道をずっと歩くと長府毛利家の墓地に突き当たります。3g2405
左に曲がって迂回するようにしていくとまもなく三基の宝筐印塔があります。中央が大内義長の墓と伝えられるているものです。大友宗麟の異母弟で陶隆房(後に陶晴賢)により大内家当主として迎えられ、大内義長と改めました。鎌倉時代後期ものと考えられています。左右の宝筐印塔は南北朝期。Cimg2411
墓地の土塀がいいです。

2008年2月 2日 (土)

山口の旅・国宝巧山寺仏殿

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巧山寺は曹洞宗の古刹。もとは臨済宗で金山長福寺と称しました。山門は安永2年(1773)に建立したもので、入母屋造り瓦葺のそりのよい屋根、礎盤を置くなど禅宗様式を示しています。Butudeng2391Cimg2414

元応2年(1320)に建立された国宝の仏殿は典型的な禅宗様式。Yumiranmag2397
弓欄間は側面にありました。Katoug2393
火灯窓は下方がやや開いていますが、年代は円覚寺舎利殿よりは古いものです。下関市長府川端1-2-3

2008年1月31日 (木)

山口の旅・国宝住吉神社本殿

下関地区には住吉神社と巧山寺にそれぞれ国宝の建造物があります。まずは住吉神社を訪れました。大阪の住吉大社、博多の住吉神社とともに日本三大住吉と称されています。長門一ノ宮というだけあって堂々たるものでした。住所も一の宮です。Cimg2364
応安3年(1370)に大内弘世が建造した国宝の本殿は向かって右から第一殿( 住吉三神(表筒男命・中筒男命・底筒男命)) 、第二殿(応神天皇)、第三殿 (武内宿禰命)、第四殿 (神功皇后)、第五殿(建御名方命) となっており、5つの一間社が合の間を介して一列に連なった九間社流造りです。調和の取れた美しい造りだと思いました。Cimg2370
本殿の裏手。Haiddeng2352
天文8年(1539)に毛利元就の寄進した拝殿は中央の第三殿の前にあり、重要文化財に指定されています。Komainug2351
狛犬の顔つきが面白い。Chouzug2348
水船もちょっと変わっていました。下関市一の宮住吉1-11-1

2008年1月30日 (水)

山口の旅・安徳天皇を祀る赤間神宮

わずか8歳で壇ノ浦で亡くなった安徳天皇を祀っているのが赤間神宮です。もともと真言宗の寺で阿弥陀寺と称していましたが、明治の神仏分離で神社となったのです。地名はまだ阿弥陀寺です。Suiteng2341
左は太鼓楼、右は水天門。竜宮造りは珍しい。漆喰で塗り固めてアーチ状の通路が設けられています。Entranceg2334Hallg2335Hallg2336


外拝殿(大安殿)。Botimg2338
七盛塚といわれる平家一門の墓碑がありました。下関市阿弥陀寺町4-1

2008年1月28日 (月)

山口の旅・最古の招魂社「桜山神社」

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新山口から新幹線で新下関に行き、さらに在来線で宿舎のある山口に移動しました。宿舎の近くに桜山神社がありました。もともと奇兵隊の調練場だったところです。Cimg2307Cimg2308

ここには元治元年(1864)に高杉晋作の発議により創建された招魂場が本殿裏にあり奇兵隊士、小倉戦争、北越戦争での戦死者、吉田松陰、高杉晋作などの396柱の霊が皆等しく祀られています。明治維新の頃から、国家のために殉死した英霊を祭る神社を招魂社と呼んでおり、後に東京招魂社は靖国神社、地方の招魂社は護国神社と呼ぶようになりました。この桜山神社は最古の招魂社です。下関市上新地2-6-22

2008年1月27日 (日)

山口の旅・重源の建立した阿弥陀寺

華厳宗の古刹阿弥陀寺は重源が佐波川上流の巨木を東大寺再建に使用することに成功し、後白河法皇の現世安穏祈願の為に文治3年(1187)に建立したものです。東大寺別院となっています。Cimg2294
仁王門は茅葺の風情のあるもので金剛力士像は慶派により鎌倉初期に造られたものです。周りの景色とよく融合してしっとりとした良いものだと感じました。Cimg2299
堂宇はさほど古いものではありません。国宝の鉄宝塔、水晶五輪塔を見たかったのですが寺の人と連絡がとれず残念に感じました。あじさい寺として知られているようですが石橋の欄干にまであじさいが刻まれていて、観光の意図が露わで好感を感じませんでした。Cimg2303
重源由来の石風呂があって毎週第一日曜日に利用できるそうです。防府市天神1丁目6-37

2008年1月25日 (金)

山口の旅・豪華な毛利氏庭園

防府には長州藩士出身で明治政府で要職を勤めた井上馨が旧萩藩主毛利氏にふさわしいものとして着工させた豪華極まりない邸宅があります。1892年に着工、1916年に漸く完成しました。H1284H2mg2280Cimg2279


本殿は最高の用材で作られた4000平米の御殿造りの建物。Cimg2274Cimg2276Cimg2277Cimg2278Cimg2287Cimg2290

8万4000平米の庭園は東京の佐久間金太郎の築庭になる池泉回遊式の広大なものです。古刹などを中心に回ってきたので、ここはまったく雰囲気が違って心和むものがありました。そしてこの豪華さは譬えようのないほどのものでした。現在だったらこれほどのものは絶対に造ることができないでしょう。防府市多々良1丁目15-1

2008年1月24日 (木)

山口の旅・往時の寺域のままの防府国分寺

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防府に向かいました。聖武天皇のときに全国に国分寺が建立され、今でも各地にその跡地や堂宇が残っています。ここ周防国分寺はなんと創建時の寺域がそのまま残っていて大変珍しい。現在は真言宗。金堂は需要文化財で立派なもの。本尊の薬師如来の他に仏像が多数安置されていました。Cimg2270
楼門は瓦葺、重層入母屋造でこれも堂々としていました。防府市国分寺町2-67

2008年1月21日 (月)

山口の旅・乗福寺の琳聖太子供養塔

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乗福寺は14世紀前半に大内重弘が建立し、その菩提寺となった古刹で最盛期には塔頭35、末寺88に達したと言われる大規模なものでした。Entranceg2243Cimg2248Cimg2250


本堂の裏手に琳聖(りんしょう)太子の供養塔があります。百済聖明王第三子で、推古天皇19年(611)に周防多々良に上陸し聖徳太子から多々良の姓と領地大内県を賜り大内氏の祖先となったと言われていますが実在はまだ確かではありません。大内氏が自らを百済の王子の子孫だと主張する裏には対朝鮮貿易を有利に進めようとした意図があったようです。寺の近くからは朝鮮の軒平瓦などが発掘されています。大内弘世や大内垂弘の墓もありました。山口市大内御堀301

2008年1月20日 (日)

山口の旅・最古の楼拝殿造の今八幡宮

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楼門と拝殿が一緒になった構造は楼拝殿造といわれて山口独特の神社建築様式です。上山口駅近くの今八幡宮のそれは最古のものです。Cimg2207
折りしも茅の輪が設置されていました。Cimg2219
本殿です。山口市八幡馬場22

2008年1月19日 (土)

山口の旅・常栄寺の庭園

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常栄寺庭園は大内政弘が雪舟に命じて築造させたものです。三方を林に囲まれ内庭だけでも30アールもあるかなり広い庭園です。立石が多く使用されているのは室町時代の作庭の特徴です。Milletg2193Milletg2194

本堂南の南溟庭は重森三玲作の石庭です。龍蔵寺の流水の庭を見てすぐにまた重森の活躍を目にしました。山口市宮野下2001番地

2008年1月18日 (金)

山口の旅・香山園の毛利家墓所

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瑠璃光寺のすぐ脇の香山園という静かな公園に毛利家の墓所があります。石段の手前で手を叩くと正面の墓所からばちばちという反響があるので「うぐいす張りの石畳」と言われています。Cimg2167Domanjug2162

ここには13代藩主毛利敬親らの墓があります。墓石の後ろに土饅頭がありました。藩主一族の墓としてはずいぶん地味なものだと思いました。萩藩主毛利家墓所といわれるところは他に萩市にある旧天樹院墓所、大照院墓所、東光寺墓所。

2008年1月17日 (木)

山口の旅・国宝瑠璃光寺五重塔

曹洞宗保寧山瑠璃光寺の五重塔は嘉吉2年(1442)に建立されたものと考えられ国宝に指定されています。かつて大内義弘が建立した香積寺の地に義弘の弟盛見が彼の菩提のために建立しました。均衡の取れた美しい五重塔で大内氏隆盛期の優れた遺構です。現在は瑠璃光寺の境内となっています。Zenkei2189
高さは31.2mで桧皮葺き。和様建築に見えますが、二重の手摺の逆蓮柱、内部の円形須弥壇が禅宗様式と見られるのだそうです。池の向こうに見える五重塔はとても美しいものでした。山口県山口市香山町7-1Saikasomg2174
Soring2181

山口の旅・唐様建築の洞春寺観音堂

市内に戻り県庁近くの毛利元就の菩提寺洞春寺に行きました。