1月6日はシャーロック・ホームズの誕生日でした。1月6日という文献的根拠はいまだによくわかりません。年代の推察には二つの根拠があります。一つはThe Boscombe Valleyに1889年ではmiddle-agedとあったこと。もう一つは1914年に書かれたHis Last Bowにホームズが60歳だと言及があること。したがって生年は1854(嘉永7年)と考えられています。これほど有名な人なのにまだ訃報が発表されていないことから現在154歳になっていることと思われます。ドイルが最初に発表したホームズ物語はBeeton's Christmas Annualに掲載されたA Study in Scarlet(従来の「緋色の研究」ではなくて「緋色の習作」とするのがよさそうです)です。
そのトルコ語訳、スペイン語訳です。


学習研究社の「大人の科学」は付録の工作が楽しいものです。付録はなかったのですが私は昔は「子供の科学」の熱狂的な愛読者でした。さてGakkenの方のVol.17はテルミンが付録であっというまに品切れになってしまいました。2ヶ月も待ってやっと入手して組み立てたのですがtuningがやたらと難しいし、また思ったような音がなかなか出てくれず悪戦苦闘中です。でもこの赤い不思議な楽器は片手で包み込めるほどの小さいものでとても愛らしく感じます。さてここで言いたいのはこの楽器の名称テルミンが極めてよろしくないということです。ロシア語ではТЕРМЕНですから、チェルミェンでなくてはいけません。ロシア語からの通常の転記としては、EによるTの口蓋化を無視したとしてテルミェンまたMの口蓋化も無視しても(例えばМенделеевミェンジェリェイェフをメンデレーエフにしている)せいぜいテルメンになる筈です。発明者のЛев Сергеевич Термен(リエフ シェルギェイェヴィチ チェルミェン)は先祖がフランス人だったそうです。彼の通称はLeon Thereminだったそうです(最初のeはaccent aigu)。楽器の名はその発明者の名をとってthereminとなったのでしょう。英語ではそうなっています。仏語風のテルマンなら少しは許容できるかも知れません。英語風ならセレミンでしょう。とにかくテルミンは地球上のいかなる言語をもっても説明のつかぬ奇妙な名称なのです。もともとはロシア語由来なのだからテルメンが正解ということになるでしょう。
慈光寺の脇道から山中に入って数百メートルで暗峠に至りました。名称の由来については鞍替えの転とも暗かったからだとも言われていますがよくわかっていません。実際は比較的なだらかな平面が数十メートルほど続いていて急峻な坂を登りつめてきた旅人にはひとときの安らぎを感じさせてくれるような穏やかな雰囲気の場所です。昔から茶店が数軒あったそうです。今も茶店が一軒だけ開いていました。
大阪方面を見下ろしています。
江戸時代の矢田山二里と記した道しるべや石灯籠がありました。
家が何軒かありましたが人気が全然ありません。これから生駒山東麓を下ることになります。石仏の宝庫を歩くことになるという期待で気持ちは高揚します。
舗装された比較的広い道になっていました。
まわりはのどかな畑と山地です。
ソウルは何度も来たのになぜかこの宗廟を訪れたことがありませんでした。1395年(太祖4年)仁建てられました。李氏朝鮮歴代の王や王妃の計163の位牌を安置しているところで、都心にあるのですが木々に囲まれていて静かな環境にあります。
太宗13年(1413)に宗廟の前を通るものは誰もが下馬せねばならぬと決められました。「大小人員下馬碑」と書かれたこの石碑は顕宗4年(1663)年のもの。

正殿(国宝第227号)の各部屋に位牌が納められています。
戸がきっちりとしまっていませんがこれは魂が出入りするようにわざとそうしてあるのです。
正殿の裏の石垣の高さが乱れています。これはそれぞれの評価を高さで示しているのだそうです。

韓国を旅しました。慶州の吐含山中腹に位置する仏国寺は新羅法興王22年(535)に創建されたと伝えられていますが。後に朝鮮先祖25年(1592)の壬辰の乱の時に石造物を残して殆ど全部焼失してしまいました。その後発掘や修復などにより広大な伽藍がかなり復元していますが往時の勢いには到底追いつかないようです。しかし新羅時代を代表する古刹として素晴らしいものでした。。
写真は国宝20号の多宝塔。釈迦牟尼を祭る大雄殿の前方右にあるものです。花崗岩製で全高 10.4m、基壇幅 4.4m 、方形平面を下層に、円形(八角形)平面を上層とし、彫刻を施した華麗で複雑な形態は新羅石造美術の最高傑作といわれています。なお狛犬は4匹いたのですが日本軍が3匹持っていってしまったらしくて、写真左手の鼻の欠けた一匹しか残っていません
神戸といえば「港町」というepithetが付くのが当たり前のような気がしますが、いやどうして古い歴史の町です。地下鉄西神・山手線の終点「西神中央」駅から明石行きのバスに乗って十数分のところ谷口で下車してしばらく歩いたところに如意寺があります。千年ほど前に願西上人により創建され、地蔵菩薩を本尊としています。西に阿弥陀堂(常行堂)、東に三重塔、南に文殊堂を配した、天台伽藍の典型です。
山門は大分離れたところにあってさらにかなり歩かねばなりません。
真っ先に目にするのはこの文殊堂で高床を有し、応永13年(1406)以降のものと考えられています。
天台宗の重要な修行である常行三昧の場であり、阿弥陀如来を安置しているので常行堂とも阿弥陀堂とも呼ばれます。
三重塔は至徳2年(1385)に建てられました。各層に大日・釈迦・多宝如来を安置しているそうです。
本来ならここに本堂があったのでしょう。戦災で焼失してしまいました。山一つ超えるとそこにはもう開発の波が迫っていました。30分ほど歩いて山を越えて西神南駅に達しました。

高ヶ坂から町田へと歩く途中で見つけました。塾名がラテン語です。きちんとラテン語を学んだ人なら「ベリタス」ではなくて「ウェリタース」とするでしょうが、まあいいです。真実という意味。私は以前メールアドレスにinvinoveritasというのを使っていました。in vino veritasを乱暴につなげてしまったのです。意味は勿論「酒に真実あり」。くだけて言えば、「酔っ払うと本音が出る」と言ったところでしょう。ラテン語引用辞典を引くとveritas nunquam perit(真実は決して滅びない)、 veritas semper una est(真実は常に一つである)というようなものが多いのですが懐疑主義的な私にはちょっと抵抗があります。
神田駅前の飲み屋です。文法的に解説するとludensとはラテン語の動詞ludo(遊ぶ)の能動現在分詞です。一時話題になったJohan Huizinga の"Homo ludens"が頭に浮かぶことでしょう。彼によれば「遊び」とは「あるはっきり定められた時間、空間の範囲内で行われる自発的な行為もしくは活動である。それは自発的に受け入れたルールに従っている。そのルールはいったん受け入れられた以上は絶対的拘束力を持っている。遊びの目的は行為そのものの中にある。それは緊張と喜びの感情を伴い、またこれは「日常生活」とは別のものという意識に裏付けられている」( 中公文庫「ホモ・ルーデンス」ホイジンガ 高橋英夫訳)。人はhomo faberであるよりもまずhomo ludensなのでしょう。homo sapiensというよりhomo demensなのかも知れません。
久しぶりに神田の古書店巡りに精出しました。古書店ではないのですが、ナウカというロシア語の本を扱っている店があるのですが倒産してしまい店舗は讃岐うどんの店になっていました(精確にはНАУКАナウーカで科学という意味です)。最近はロシア語を学ぶ人たちがかなり減ってしまったのでしょう。私が大学生になった頃は理系の学生の半分はロシア語を第二ないし第三外国語として選択していました。ソ連の科学技術の進歩は無視できなかったのです。でもヨーロッパ語の中では格段に習得に時間がかかりました。ドイツ語を選んだクラスではもうショーペンハウアーを読んでいるのに、ロシア語クラスではいまだに文法が終わらないというような有様でした。ロシア語の本だけの販売では商売が難しいのですね。私がロシア語を齧り始めたのは中学生のときでした。晴海でソ連見本市があり、そこで一抱えものロシア語のパンフレットをもらって、すぐにキリル文字の学習からはじめました。大学では第二外国語としてロシア語を改めて学習しました。錚々たる教授陣で恵まれた教養学部の時代を過ごしました。ロシア語独特の微妙な表現は素晴らしくて、文学作品を楽しむのも素晴らしいことだと思います。まだ日ソ図書は営業を続けているようです。ここも神田の交差点近くにあったのですが、移ってしまいました。ロシア語学習者受難の時代です。 中国語の内山書店や東方書店は相変わらずやっておりました。

時々いかにも薀蓄のありそうな店名を見かけます。これはJR町田駅八王子方面行きプラットホームから見かけたもの。ダーツバーっていうものでしょうか。Carbunculusとあります。明らかにラテン語の男性名詞形。他のヨーロッパ語で言えばcarbuncle(英語),Karbunkel(ドイツ語),carbunclo(スペイン語) ,карбункул(ロシア語)といったところでしょう。 ざくろ石と癰(よう)の二つの意味があります。前者についてはOEDの説明が詳しいです。A name variously applied to precious stones of a red or fiery colour; the carbuncles of the ancients (of which Pliny describes twelve varieties) were probably sapphires, spinels or rubies, and garnets; in the Middle Ages and later, besides being a name for the ruby, the term was esp. applied to a mythical gem said to emit a light in the dark; in mod. lapidary work the term is applied to the garnet
when cut en cabochon, or of a boss form, usually hollowed out to allow the colour of the stone to be seen. ホームズ物語にはThe Adventure of the Blue Carbuncleというのもあったっけ。医学の教科書では癰とは皮膚の感染症としては最も重いタイプのもので、毛嚢炎やせつを上回るもので、糖尿病が背景にあったり、古典的には十字切開をするということになっています。ラテン語の店名と言えば以前Quo vadisという紳士服屋が原町田4丁目にありましたがつぶれました。

臨済宗建長寺派玄武山普済寺は立川の古刹で、中世立川で権勢を振るっていた立川氏一族の菩提寺として文和2年(1353)に創建されました。立川駅から南西へ歩いて20分くらいのところにあります。



本堂の裏を左に回ったところのわかりにくいところの覆屋に国宝・六面石幢があります。国宝の石造物は五つしかないので大変珍しいものです。幢とは仏堂内で六角ないし八角に布を垂らした形の旗をいいます。石幢は高さ166cm、幅42cm、厚さ9cmの秩父青石と呼ばれる緑泥片岩Chlorite schistの板石6枚を同質の土台石と宝珠の乗った笠石とともに柱状に組み合わせたもので2面に仁王像(阿金剛、吽金剛)、四面に四天王像(持国天,増長天、広目天、多聞天)が浮き彫りになっています。 緑泥片岩は緑泥石を含む結晶片岩で、プレートテクトニクスによる地殻変動の際の変成作用で生成したものです。関東の板碑は長瀞や小川町のものが多いのですが、中央構造線上にある和歌山城や徳島城の石垣にも近くで取られた緑泥片岩が使われているそうです。


やはり播磨は遠かった。でもここに息づく古刹の魅力は素晴らしいものでした。端正な姿の浄土寺は重源により建久年間(1190頃)に建てられたもので、いわゆる天竺様の建築物として有名です。つまり天井をはらない化粧屋根裏、太い円柱に差し込まれた肘木、それにかかる虹梁、鼻隠板をうった軒などに特徴があります。そして中には本尊である阿弥陀如来が観音、勢至菩薩を脇侍として立っており、背後つまり西のしきみ戸から陽が差し込むと丈六の仏像が神々しく輝くという仕組みになっています。若いお坊さんが一生懸命に説明してくれました。
開山堂は簡素な造りですが俊乗房重源坐像を安置してある重要な建築物です。
浄土寺境内のほぼ中央に位置するのは八幡神社で室町時代のものです。


はるばるここまで来たのです。旅はまだ続きます。この注連縄が張られているお寺はなんでしょう。住職さんは内陣に入るのに神道の2礼、2拍、1礼の礼をもってされました。神仏習合の伝統がいまだに残っているのです。明通寺とともにもっとも拝観したかったのがこの神宮寺でした。 天平のころ神宮寺から印度僧の実忠和尚が東大寺に行き、大仏開眼供養を指導しました。天平勝宝4年(753)年に二月堂を創建し,修二会を始め、2月はじめに全国の神々を呼び集めたのですが若狭の遠敷(おにゅう)明神だけが2月12日に大幅な遅刻でやってきました。川漁に熱中していたからでした。それでお詫びの印にと毎年水を送る約束がなされました。これが有名な「お水送り」。東大寺の二月堂からすれば「お水取り」ということになります。遠敷川の2キロほど上流の鵜の瀬から二月堂の若狭井に閼伽を送ります。3月2日のお水送りの10日前にこの儀式が行われます。つまり若狭から地下の水脈を経て約10日で奈良に着くと考えられているのでしょう。二枚目の写真はこの「閼伽」の湧く井戸です。ところで遠敷とは朝鮮語の「ウォンフー」(遠くにやるの意)に由来するといわれています。また音としては丹生(にう)に通じ水銀鉱脈との関連を暗示します。



JR新杉田駅近く、16号線から入ったすぐ近くの臨済宗の古刹東漸寺です。北鎌倉の建長寺の末寺にあたるらしいのですが、この釈迦堂は正安3(1301)年に建築されたもので禅宗様(禅宗様方三間裳階付仏殿)で年代がわかる建造物としては日本最古のものなのだそうです。入母屋造りの屋根は銅瓦葺で扇垂木、裳階は並行垂木。火灯窓は両脇が垂直に立っていて古い形式を示し、弓欄間(波形連子欄間)も禅宗様の特徴です。この他五輪塔も県重要文化財に、永仁6(1298)年鋳造の梵鐘が国重要文化財に指定されています。残念ながら山門から中に入れず、なんとか撮影してきました。近くの横浜市立杉田小学校の校庭からは古墳時代~奈良時代の各種土器や石器、中世のかわらけ、鉄製品などが出土しています。
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