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2008年4月29日 (火)

滝坂道を歩く・地獄谷石窟仏

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地獄谷石窟仏には高円山ドライブコースにいったん出てから山道を再び登って到達しました。数年前高円山山頂まで車で登ったことがありますがそのときにはまさか途中に石仏にいたる山道が途中にあるなどとは気づきませんでした。Nam et ipsa scientia potestas est(Bacon, De Haeresiis)金網で囲ってあって接近できず、曇天で樹木が覆っていて、像容はよく確認はできませんでした。接近して調査されたはずの川勝先生自身も中尊が釈迦如来か弥勒如来か確認しかねると仰っているほどですから私にはよくわからないのは仕方がないかも知れません。

2008年4月28日 (月)

滝坂道を歩く・円成寺周辺の石造美術

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円成寺庭園の南、木々の中に、見逃しやすい形で第一重軸部に四方仏の種字を刻する十三重塔と宝筐印塔がありました。Rokujizou3622Cimg3629

東海自然歩道に入って少し歩くと左手に六地蔵があります。その左上には共同墓地が広がり鎌倉期のものとおもわれる立派な五輪塔がありました。Mitimg3637Mitimg3639

ここからは忍辱山に入り石切峠を目指します。

2008年4月26日 (土)

滝坂道を歩く・円成寺の白山堂、春日堂(国宝)

柳生の円成(えんじょう)寺から春日山南麓に沿い滝坂道を下る旅を楽しみました。奈良坂から柳生に向けて車で旅立ちました。途中左に曲がると岩船寺に向かうことができます。Nameg3571
真言宗忍辱山円成寺は万寿3年(1026)命禅上人の開山になる古刹です。Gardeng3576
平安時代後期の浄土式庭園の遺構です。Romonmg3598
楼門は重文。Tahog3582
多宝塔は最近のものですが運慶作の大日如来を拝観できます。Hondog3607
本堂には阿弥陀如来が安置され、円柱には菩薩たちの彩り鮮やかな姿が描かれていました。Shrineg3583
鎮守社として安貞2年(1228)に建造された白山大権現を祀る白山堂(右)と春日大明神を祀る春日堂(左)は最古の春日造社殿として国宝に指定されています。Haideng3589
延宝3年(1675)建立の簡素な拝殿。

2008年4月24日 (木)

長瀞の旅・矢那瀬の石幢

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波久礼駅から車で数分のところ、国道から少しだけ入ったところにある地蔵堂境内に矢那瀬の石幢があります。Sekido0301_098
有名な立川の普済寺の石幢が単制であるのに対して、これは下から基礎、竿、中台、がん部、笠、請花、宝珠といった複雑な構造を有する重制となっています。Mani301_099
いわゆるマニ車があるのが大変珍しい。6jizo301_111
基礎4面に胎蔵界4仏の種字、がん部に六地蔵が刻まれています。明応8年(1499)の建立。Kouyoku01_092
近くに北村西望の疎開していた貞治元年(1362)開山の真言宗高徳寺があるが本堂は焼け落ちて再建されず、そのまま残った石垣が往時の様子をうかがわせています。

2008年4月22日 (火)

長瀞の旅・本邦最大の野上下郷青石塔婆

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ちちぶ鉄道樋口駅の近くに見上げるほどに大きい高さ5.35mの本邦最大の板碑があります。国道140号線から数mほど山よりに入ったところです。川勝政太郎先生は「日本石造美術辞典」で「肝をつぶすほどに大きい」と形容していらっしゃいます。身部上方に荘厳の3点を冠した釈迦の種字バクを蓮座上に薬研彫りで刻んでいました。Koumyou301_085
その下には梵文の光明真言を配していました。Ouan301_084
応安二年(1369)の記銘がありました。

2008年4月21日 (月)

長瀞の旅・積蔵院の青石塔婆三基

関東を中心として広く分布する板碑は長瀞付近から採取される緑泥片岩で作られています。したがってこのあたりにはこの石で作った板碑があちこちに見当たります。Sekizouin301_068
岩畳からは荒川を隔てて対岸に新義真言宗岩倉山積蔵院があります。寺には野上駅ちかくまで迂回して橋を渡っていくしかありません。本堂は明治43年に火事で焼け落ちてしまいました。Haka20301_070Migi0301_073Mannaka80301_072Hidari301_071

この寺の左手の墓地に明治初年近くの蓬莱島で発掘されて三基の青石塔婆があります。元享3年(1323)の建立で弥陀三尊の種字が刻まれています。

2008年4月17日 (木)

長瀞の旅・自生するユキヤナギ

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長瀞を旅しました。荒川はユキヤナギが自生しており、長瀞は自生地としては北限にあたります。岩畳のあちこちに白い花を咲かせていました。厳しい環境に耐えるのですね。ユキヤナギ(バラ科シモツケ属)Spiraea thunbergii 、英名はThunberg's meadowsweet

2008年4月16日 (水)

北摂の旅・野間中の板碑

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地黄の南、野間中の道路際に幅広の板碑があります。暦王4年(1341)の建立で地蔵の種子カが刻されていました。Isibutug3455
近くの阪急「本滝口」バス停の脇にもかわいらしい石仏がありました。かくて北摂の旅を終え、能勢電鉄「妙見口」駅から乗車しました。駅前の店をのぞくとなんとヤーコンが沢山売られているのです。当地の名産とは知りませんでした。丁稚羊羹もあるのには驚きました。

2008年4月15日 (火)

北攝の旅・丸山九重石塔、宝筐印塔

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清普寺から数百メートル離れたところに能勢氏の山城であった丸山城址があります。9img3443
大手口にあたるところに弘安11年(1288)建立の九重塔が_あります。花崗岩製で総高309cm、塔身に金剛界四仏の種子が配されています。Hmg3444Cimg3449

宝筐印塔は延文5年(1360)のもの。反花は典型的な南北朝様式。端の蓮弁を見ると強くむくっています。

2008年4月14日 (月)

北攝の旅・清普寺(せいふうじ)

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地黄には能勢氏の菩提寺清普寺があります。しずかな田園地帯にひっそりと佇んでいました。Yakusig3407
山門をくぐってすぐ右手にあるのは鎌倉時代後期作の薬師如来像。花崗岩ながら摩滅がかなり激しい。Daidaig3427
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墓地には能勢氏代々の墓が展開していました。Sankeireng3426
美しい三茎蓮。近江文様がここにも。Cruzmg3431
十字架はかつて能勢氏がキリシタンに好意的であったことを示唆します。

2008年4月13日 (日)

北攝の旅・名月峠

名月姫の悲しい話があります。摂津国御園荘領主三松国春が大日如来に願をかけたところ、仲秋の名月の夜に娘が生まれ、名月姫と名付けました。美しく育った姫は能勢家包に嫁ぎ、幸せに暮らしていました。ところがなんと平清盛がその美貌を知り、姫を自分のもとに呼びつけたのです。姫は途中この峠で自害してしまいました。Cimg3382
峠には二基の五輪塔に挟まれて宝筐印塔が安置されていました。Cimg3383
中央の宝筐印塔は名月姫の墓と伝えられています。隅飾りには散蓮華。塔身の月輪にはウーン(阿しゅく)の種字が刻まれています。Limg3385
向かって左は夫家包(いえかね)の墓と伝えられています。Rmg3384
右は父三松国春の墓と伝えられています。

2008年4月11日 (金)

北攝の旅・月峯寺の阿弥陀石仏

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高さ785メートルの剣尾山頂に推古朝の時代に歴史を遡る月峯寺は49余もの院坊を抱えて隆盛を誇っていましたが天文14年(1545)にことごとく焼け落ちてしまいました。その後寛文4年(1664)に現在の地に移り、整備されていきました。6img3362Midag3364Midamg3363


本堂左手の6基の阿弥陀仏像もここに移されてきたものです。洗練された作風から京都系の石工によると考えられています。一つに文安4年(1447)の銘があります。

2008年4月10日 (木)

北攝の旅・観音寺の宝筐印塔と名号板碑

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今西から見て田畑の広がる平地の向こう側に真言宗の妙知山観音寺がありました。Cemeteryg3350
坂を登って境内に入り右手の墓地に入りました。Hokyog3342Hokyo3343

南北朝期の宝筐印塔です。石英閃緑岩製で塔身には月輪を刻み、東面にウーン(阿しゅく)、南面ウーン(薬師)、西面キリーク(弥陀)、北面バク(釈迦)の種字が記され、隅飾りには渦紋があってこのあたりの猪名川流域の特徴を示し、基壇には繰形が見られます。Itahimg3344
名号板碑は天文23年(1554)の建立で身部中央に南無阿弥陀仏の六字名号が刻まれています。

2008年4月 9日 (水)

北攝の旅・今西墓地六地蔵板碑

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街道から見て能勢町立岐尼小学校の左手の細い道を登っていくと寂しい細い山道になります。途中右に曲がるところもありますがそのまま直進して山をぐんぐん登っていくと突然6基の地蔵板碑と一基の弥陀板碑が現れます。いずれも南北朝中期のものです。道智と如心なる夫婦が七世先祖、それぞれの亡き両親ならびに自分たちの逆修のために建立したものなのです。Botimg3327
さらに登ると墓石もない墓地がありました。Hyojig3325
「免許墓地埋葬場」なる表示はかつてここでは土葬が行われていたことを示すものでしょう。

2008年4月 8日 (火)

北攝の旅・蓮華寺五輪塔

いよいよ能勢に入りました。この辺りは能勢頼次が日乾上人に帰依したためにほとんどの寺が日蓮宗です。Sanmong3304Hondo3294

広栄山蓮華寺ももとは浄土宗であった光明寺が日蓮宗に改宗したものです。Goring3292Suiring3296

山門を入ってすぐ左手の墓地に素晴らしい五輪塔がありました。花崗岩製で高さは217cm、水輪が完全な球体ではなくて下が少しすぼまっているのが印象的です。火輪の軒反りは力強くて鎌倉様式の典型です。Shoinnniwag3301Hokyo3299

境内右手の書院の庭には建武4年(1337)建立の宝筐印塔がありました。

2008年4月 7日 (月)

北攝の旅・多田神社

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多田神社を訪れました。阪急電鉄宝塚線「川西能勢口駅」で能勢電鉄乗り換え、「多田」駅で下車し1kmほど歩いたところにあります。第五十六代清和天皇の曾孫源満仲公の他、頼光、頼信、頼義、義家を祀っており、清和源氏発祥の地と言われています。清廉な感じの境内が印象的でした。社殿は第四代将軍綱吉の再建になるものです。Zuising3249
重文の随身門。Haideng3255
拝殿も重文で寛文7年(1667)の建立。Hondeng3263
本殿も重文で寛文7年(1667)の建立。Cimg3273
ムクロジの大木がありました。

2008年4月 6日 (日)

北攝の旅・若王寺宝筐印塔(池田)

北摂の能勢を旅しました。大阪にもこれほど静かなところがあるのかと驚くほどの静かな山里でした。新幹線新大阪駅から東海道本線大阪駅に移動し、阪急宝塚線に乗り換え、池田に宿を取りました。Gate3234
池田市にも興味ある寺社、石造物、古墳などが多いのですが、鉢多羅山釈迦院若王寺の重要美術品の宝筐印塔だけ訪れました。Wholeg3237Sannkeig3239

後補の相輪部を含めて高さは1メートルと少しで大きいものではありません。正安元年(1299)の銘があり格狭間に三茎蓮華文が刻されています。近江式文様がここまで広がってきたのでしょう。

2008年4月 5日 (土)

北武蔵探訪・千手院墓地(本川俣)

羽生市本川俣の千手院に行きました。寺は利根川の高い土手の脇にあり、その前の墓地には三基の板碑があります。高い土手のなかったころはよく洪水で冠水したことでしょう。Akirikmg3085
高さ144cmで胎蔵界大日如来の種字アと阿弥陀の種字キリークが刻されています。嘉暦3年(1328)の設立Kirikg3086
すぐ左に並んでいるもので弥陀三尊の種字がありました。Ag3087_2
方形の輪郭にアが刻されていました。嘉暦4年(1329)の造立。Gateg3080Stonybuddhasg3083Hallmg3081


千手院は延暦18年(799)に勝道上人が開基したと伝えられている古刹で境内の右手には地蔵菩薩や青面金剛の像などが並んでいました。信仰心の篤いとことだと思いました。

2008年4月 4日 (金)

北武蔵探訪・毘沙門堂板碑(羽生)

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羽生駅のすぐ北に古江宮田神社があります。この神社は毘沙門山古墳と呼ばれる前方後円墳の上に建てられていてそのすぐ下の境内には毘沙門堂もあります。古墳を上がろうとしたところに高さ259cm、幅185cmの巨大な板碑があります。高さはこれを上回るものがありますが幅は真に広い。勿論緑泥片岩。将軍塚古墳の玄室への通路の天井も緑泥片岩だったことを考えると古墳の石材を流用したものでしょうか。建長8年(1256)の作で釈迦の種字バクと阿弥陀の種字キリークが薬研彫りで刻まれていました。Shadenn_g3105
古墳の上の後円部にはシーソーやブランコの設置された小公園になっていて面白く感じました。写真はブランコに乗りながら社殿方向を撮ったもの。

2008年4月 3日 (木)

北武蔵探訪・さきたま古墳公園

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行田市には古墳が点在していますが。とくに大型の古墳が集中しているところがあり、「さきたま風土記の丘」として整備されています。併設された「県立さきたま史跡の博物館」には国宝の「金錯銘鉄剣」をはじめ多くの貴重な出土品が展示されています。Cimg3073
前方後円墳の上で撮りました。先に見えるのが「後円」の部分。明るい陽光の元、楽しい散策の場となりました。食堂で売られていた行田市の名物あつあつの「ゼリーフライ」の意外なおいしさにも驚きました。

2008年4月 1日 (火)

北武蔵探訪・宝蔵寺、前玉(さきたま)神社

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持田の真言宗豊山派宝聚山宝蔵寺は900年頃に鑁阿上人を開基として設立された古刹です。ここにキリークとウーンを種字とした二基の板碑があると聞きましたがもはやありませんでした。どうやら板碑を多数収蔵する佐間の行田市史料館に移動したものと思われます。墓地の入り口には弥陀の種字キリークを刻した板碑がありました。Cimg3065Cimg3067

さきたま古墳群に前玉(さきたま)神社があります。これが「埼玉」と関係あるらしいのです。以下は社頭掲示板の記述です。「明治4年11月14日、現在の県域に「埼玉県」と「入間県」を設置するとの太政官布告が出された。これが埼玉県の誕生である。以後、幾度かの変遷を経て明治9年8月に現在の埼玉県の区域が定まった。「埼玉」が県の名称とされたのは、当所の県の管轄区域の中で、最も広いのが、埼玉郡であったことによる。埼玉郡は、律令による国郡制度が発足した当初から設置された郡と見られ、当初は前玉郡(さきたまぐん)という表示も行われ、正倉院文書神亀3年(726)の山背国戸籍帳には「武蔵国前玉郡」の表記が見える。また、延喜式神名帳にも埼玉郡の項に「前玉神社二座」とある。ここ行田市埼玉の地は、巨大古墳群の所在地であり、また「前玉神社」の鎮座する場所である。おそらく埼玉郡の中心地であったと考えられるので、ここに碑を建て、県名発祥の記念とする。」

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