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柳生の円成(えんじょう)寺から春日山南麓に沿い滝坂道を下る旅を楽しみました。奈良坂から柳生に向けて車で旅立ちました。途中左に曲がると岩船寺に向かうことができます。
真言宗忍辱山円成寺は万寿3年(1026)命禅上人の開山になる古刹です。
平安時代後期の浄土式庭園の遺構です。
楼門は重文。
多宝塔は最近のものですが運慶作の大日如来を拝観できます。
本堂には阿弥陀如来が安置され、円柱には菩薩たちの彩り鮮やかな姿が描かれていました。
鎮守社として安貞2年(1228)に建造された白山大権現を祀る白山堂(右)と春日大明神を祀る春日堂(左)は最古の春日造社殿として国宝に指定されています。
延宝3年(1675)建立の簡素な拝殿。


羽生駅のすぐ北に古江宮田神社があります。この神社は毘沙門山古墳と呼ばれる前方後円墳の上に建てられていてそのすぐ下の境内には毘沙門堂もあります。古墳を上がろうとしたところに高さ259cm、幅185cmの巨大な板碑があります。高さはこれを上回るものがありますが幅は真に広い。勿論緑泥片岩。将軍塚古墳の玄室への通路の天井も緑泥片岩だったことを考えると古墳の石材を流用したものでしょうか。建長8年(1256)の作で釈迦の種字バクと阿弥陀の種字キリークが薬研彫りで刻まれていました。
古墳の上の後円部にはシーソーやブランコの設置された小公園になっていて面白く感じました。写真はブランコに乗りながら社殿方向を撮ったもの。
行田市
持田の真言宗豊山派宝聚山宝蔵寺は900年頃に鑁阿上人を開基として設立された古刹です。ここにキリークとウーンを種字とした二基の板碑があると聞きましたがもはやありませんでした。どうやら板碑を多数収蔵する佐間の行田市史料館に移動したものと思われます。墓地の入り口には弥陀の種字キリークを刻した板碑がありました。

さきたま古墳群に前玉(さきたま)神社があります。これが「埼玉」と関係あるらしいのです。以下は社頭掲示板の記述です。「明治4年11月14日、現在の県域に「埼玉県」と「入間県」を設置するとの太政官布告が出された。これが埼玉県の誕生である。以後、幾度かの変遷を経て明治9年8月に現在の埼玉県の区域が定まった。「埼玉」が県の名称とされたのは、当所の県の管轄区域の中で、最も広いのが、埼玉郡であったことによる。埼玉郡は、律令による国郡制度が発足した当初から設置された郡と見られ、当初は前玉郡(さきたまぐん)という表示も行われ、正倉院文書神亀3年(726)の山背国戸籍帳には「武蔵国前玉郡」の表記が見える。また、延喜式神名帳にも埼玉郡の項に「前玉神社二座」とある。ここ行田市埼玉の地は、巨大古墳群の所在地であり、また「前玉神社」の鎮座する場所である。おそらく埼玉郡の中心地であったと考えられるので、ここに碑を建て、県名発祥の記念とする。」
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