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2008年3月31日 (月)

北武蔵探訪・南河原石塔婆(観福寺)

熊谷、行田、羽生と板碑や古墳を訪ねてきました。まず熊谷駅で降車して、静かな農村の中にある高野山真言宗慈眼山観福寺に行きました。Cimg3056
この地を支配していた私市党の首領で源平の争乱で討死した河原太郎高直、次郎忠家兄弟の供養碑と言われる二基の板碑が立派な覆屋に収蔵されていました。Zoyo3054
高さ187cm。文永2年(1265)の記銘があり脇侍を伴う地蔵菩薩が線刻されていました。Cimg3055
高さ236cm。文応2年(1261)の記銘で阿弥陀如来の種字キリークが上部に、阿弥陀三尊の像容が下部に線刻されていました。埼玉県行田市大字南河原1503

2008年3月29日 (土)

京都・芬陀院(ふんだいん)庭園

雪舟寺の別名を持つ芬陀院も東福寺の塔頭です。一条家の菩提寺になっています。Cimg3220Cimg3221Cimg3222


鶴亀の庭は雪舟によって寛正,応仁のころ作庭され、重森三玲により復元修理されました。山口の常栄寺の庭園も雪舟作であったのを思い出しました。「芬陀」とは白い蓮を意味するpundarika(芬陀利華)に由来するものらしいです。Cimg3224

2008年3月28日 (金)

京都・霊雲院庭園

霊雲院は明徳元年(1390)に岐陽方秀によって開かれ、東福寺の塔頭です。Iaimg3227Iaig3228

重森三玲修復になるもので「九山八海の庭」と称し、中央に遺愛石が配されています。「九山八海」とは須弥山を中心とした九つの山と八つの海からなる世界を意味しています。「遺愛石」とは肥後藩主細川氏から送られた須弥台と石船のことを言います。Cimg3229
小書院から茶室観月堂にかかる庭を「臥雲の庭」と呼んでいます。

2008年3月27日 (木)

京都・東福寺庭園

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泉涌寺から東福寺へ行くには悲田院を経由して階段のある坂を下って20分ほど歩きます。悲田院は貧窮者、孤児の救護施設として聖徳太子が四天王寺に設立したものが最初です。当地の悲田院は泉涌寺の塔頭になっています。ここから京都の町が見渡されます。Cimg3207Cimg3208Cimg3209Cimg3211

東福寺の方丈庭園は1939年に重森三玲が作庭したもので現代的な感覚の感じられるものです。重森の作品としては本年1月15日の龍蔵寺、19日の常栄寺の各庭園を紹介したばかりです。

2008年3月26日 (水)

京都・泉涌寺庭園

泉涌寺は皇室の菩提寺で御寺とも呼ばれています。京都駅から歩いても行ける近場にあるのに不思議なほどの静寂に包まれていて私のとても気に入っているところです。山門から伽藍には下っていくのがなんとも珍しいです。1img31843img31864img3187


林泉形式の庭園は月輪御陵の前庭と御座所の庭を兼ねて元禄年間に造られたものです。2img3185
中央の雪見灯籠は仙洞御所より移されたもので第119代の光格天皇が特に好まれたそうです。開き気味の脚、八角系の中台と火袋となって頂上に宝珠が乗り、均衡がとれていて泉涌寺型と呼ばれるものです。塀の向こうに見えるのは月輪御陵で四条天皇をはじめとする二十五帝陵、九御墓、五灰塚等と孝明天皇陵、英照皇太后陵などがあります。明治期の神仏分離令以前は塀も無く庭園と自然につながっていたと聞きます。

2008年3月25日 (火)

京都・雲龍院庭園

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泉湧寺塔頭の雲龍院は泉湧寺山門を入ってすぐ右に入って2,3分のところにありました。応安5年(1372)に北朝方の後光厳上皇による創建で本尊は薬師如来です。Cimg3192Cimg3193Cimg3196


広く明るい静かな庭園が魅力的です。台所に大黒天像があります。つい見逃してしまいますから要注意です。あの穏やかな姿ではなくシヴァの憤怒の相を表したちょっと怖いものです。

2008年3月24日 (月)

京都・来迎院

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今熊野観音の欄干橋の手前を右に上がっていくと泉湧寺塔頭である来迎院に至ります。この辺もとても静かなところです。空海が大同元年(806)に開基したと伝えられています。その後唐藤原信房が泉湧寺第四世月翁和尚に帰依して整備したものです。Hall1g3161Hallg3159

荒神堂には重文の本尊荒神坐像とその眷属護法神五躯が安置されています。大石良雄が山科に浪宅を構えたときにこの寺から請文を受けたことから赤穂浪士の遺品がいくつか残っています。Aquag3158
空海が独鈷を用いたところ水が湧いたそうです。茶席「含翠軒」で庭園を眺めながら抹茶とお菓子をいただきました。

2008年3月23日 (日)

京都・今熊野観音

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泉涌寺関連の広大な敷地を歩いてみるのも面白いのに気づきました。山門の手前を左に下っていくと今熊野観音寺があります。泉涌寺の塔頭で西国33ヶ所観音霊場第15番目の札所にもなっています。応仁の乱で伽藍は消失しましたが、その後再建され、本堂には空海の作と伝えられる十一面観音があります。京都駅まで歩いていけるようなところなのに突然静謐な環境に飛び込んでしまい驚きました。郭公の名所として知られているそうです。Iseidog3150
33箇所めぐりのお堂が続くその上に医聖堂と呼ばれる多宝塔がありました。近世の原益軒、前野良沢、杉田玄白、華岡青州、高野長英、緒方洪庵などの著名な医学者の他に解剖学者で京都大学総長も務めた平澤興(生家のある新潟県味方村にも行きました)などの名もありました。

2008年3月21日 (金)

京都・覚勝院墓地宝筐印塔(重文)

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清涼寺の北面に接して覚勝院墓地があります。覚勝院はここから少し離れた大覚寺の塔頭で正平年間の創建です。墓地周辺はほとんど人通りのなく、覚勝院墓地である旨の表示もありません.Cimg3110_2Cimg3111Cimg3118


木戸を開けると中央の奥に重要文化財の宝筐印塔が立っていました。高さは226cm、花崗岩製。塔身は彫りくぼめられた月輪内に、連座上の四方仏が半肉彫りされていました。

2008年3月20日 (木)

京都・清涼寺のお松明式

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清涼寺(嵯峨の釈迦堂と言ったほうが京都では通じるようです)には先月行ったばかりなのですが、有名なお松明式があるというので再訪しました大文字送りや鞍馬の火祭と並んで京都三大火祭として知られています。3月15日の涅槃会の法要のあと、午後8時半に三基の大松明(2.1丈、2丈、1.9丈)に火がつけられその年の稲作の豊凶が占われます。今年は前日の雨のせいか火付きが悪く凶と出たという話でした。この静かな嵯峨野にどこから来たかと思われるほどの人の出でした。境内の店の栗ぜんざいとあぶり餅はおいしかった。境内には興味ある石仏などが多く、庭園も立派でよいもので昼もゆっくり楽しめるところです。この日には涅槃絵も公開され、滅多に見られないものを鑑賞することができました。

2008年3月19日 (水)

大分市の石仏探訪・南太平寺伽藍石仏

久大本線古国府駅から歩いて10分程のところに南太平寺伽藍石仏があります。上野丘を南に回りこんだところで台地を少し登ったところにあります。Kitukig3001
寛永年間(1624-1643)島根県の杵築大社(出雲大社)を分霊して建てられ、祭神を大己貴命とする杵築社の向かいです。この地には昔太平寺という寺院があったそうです。Cimg2991Cimg2993Cimg2994


三つの石窟があり、右端には入り口に不動明王、多聞天、奥に阿弥陀三尊が、中央には阿弥陀如来坐像が、左端には三小龕があります。大分市南太平寺5組

2008年3月17日 (月)

大分市の石仏探訪・岩屋寺石仏

元町石仏から南西へ300mほど行くと岩屋寺石仏があります。平安時代後期11世紀中頃から12世紀に造立されたようです。地質が脆く損傷がかなり進行していました。Sekibutu1g2990Sekibutug2985

右端は日本で一つしかない石造の十一面観音菩薩です。Senbutugang2987Senbutugann1g2989

千仏龕も珍しいものです。大分市上野丘東。

2008年3月16日 (日)

大分市の石仏探訪・元町石仏

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阿蘇山の凝灰岩は大分市にも及び、市街地地区にも磨崖仏が点在しています。駅から車で数分、国道10号線から少し入ったところに覆屋内に大分川の河岸段丘上野丘台地の崖に刻した元町石仏があります。岩薬師、元町薬師の別名もあります.Buddhag2979
12世紀(平安時代後期)の作と考えられており、台座とともに高さ3.82mの堂々としたものです。不動明王や脇侍などを従えています。地質が脆いので樹脂の含浸など風化、損傷を防ぐ工夫が施されたようです。大分市元町2組

2008年3月14日 (金)

臼杵の旅・下山古墳の石甲

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熊崎駅南東の山中に前方後円墳たる下山古墳があります。5世紀中ごろのものです。二体分の人骨を収めた家形石棺が発見されていますPenisg2972
前方部と後円部の境に石甲と呼ばれるものが一基置かれています。山の中にこんなものが忽然として現れたらびっくりします。甲冑姿の武人だというのですが私にはまったく違ったものに見えてなりませんCimg2973
日豊本線熊崎駅は無人ではありませんでしたが風情のある駅舎でした。

2008年3月13日 (木)

臼杵の旅・珍しい石甲(臼塚古墳)

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臼塚古墳は前方後円墳で後円部に臼杵神社の社殿が建立されています。2mg2946_21img2947Cimg2948


鳥居をくぐって境内に入ると右手に覆屋があり、石甲とか短甲型石人と呼ばれている頭部を欠く甲冑に身を固めた武人の石像があります。わずかに赤い塗料が残っていました。臼と杵に見立てられて臼杵という名称となったという説があります。これは非常に珍しいもので他には近くの下山古墳にしかないようです。Cimg2952
人骨を収納した石棺も見つかっています。ここから十数分歩くと日豊本線熊崎駅に到達できます。

2008年3月12日 (水)

臼杵の旅・日吉塔

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満月寺を右に見て奥の方に日吉塔と呼ばれる高さ409センチメートルの立派な宝筐印塔がありました。堂々として立つ姿は実に美しいものです。Tosing2924
塔身は厨子のような造りになっています。Cimg2925
基礎は二区格狭間。鎌倉時代末期の作と考えられています。Cimg2926
咲き始めた梅の向こうに遠く石仏群を望むことができました。

2008年3月11日 (火)

臼杵の旅・満月寺

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古園石仏群の向かいの山麓にある満月寺は是非行かねばなりません。まずはかつての洪水によるものか下部が埋もれ、霊石として鼻などあちこちを削られた異様な風貌の木原石仏と呼ばれる仁王像が目に入りました。5mg2911
重要なのは五重塔。第一重軸部に輪郭がとられており、豊後地方の特色なのだそうです。正和4年(1315)造立。塔身4面に蓮華座の上に月輪を配しそれぞれに金剛界四仏の種子が刻されています。Hutarig2915
崖には石仏を彫らせた真名野長者夫妻石像 がありました。室町時代の作らしい。Cimg2916
満月寺の開基で石仏を彫った蓮城法師が左にありました。

2008年3月10日 (月)

臼杵の旅・臼杵石仏群(5)古園石仏群

古園磨崖仏は中央の金剛界大日如来の頭部が落下してしまっているので有名だったのですがそのご復旧されてその気品ある姿を見せています。凝灰岩はもともと脆くて風化が進みやすいため、アンカーボルトを打ち込んだり、樹脂を浸透させて石質硬化が図られました。Nioumg2897
まず目に付くのは仁王像。Dainitig2904Cimg2899

そして大日如来を中心とする石仏群。

2008年3月 9日 (日)

臼杵の旅・臼杵石仏群(4)山王山石仏群

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日吉神社下の階段を下りてまもなく山王山石仏が右手上方に見えてきます。Cimg2892
薬師、阿弥陀、釈迦の三如来と言われています。ふっくらとして柔和な印象です。Hokig2894
向かいにホキの石仏群が見えました。

2008年3月 7日 (金)

臼杵の旅・臼杵石仏群(3)日吉神社

中尾五輪塔から尾根道に沿って歩くと日吉神社に到達します。Gorinng2887
神社を見下ろす少し手前の右手の林内に日吉社の五輪塔といわれるものがありますが見逃しやすい。平安末期から鎌倉初期のものと考えられています。詳細はわかりませんがひっそりとあるのが宜しい。Hiyosig2885Dohyoug2884

境内には土俵もありました。Toriig2932
石仏群への道路入り口に深田の鳥居といわれる鎌倉か室町時代の豊後で最も古いとされる鳥居があります。凝灰岩製で柱脚が太く、臼杵川の度重なる洪水で下部が埋もれており、日吉神社と関連があると考えられています。

2008年3月 6日 (木)

臼杵の旅・臼杵石仏群(2)本邦最古級中尾五輪塔

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ホキ石仏群のすぐ左脇を回りこんで登る山道があります。うっかりすると見過ごすほどの狭い道です。ずっと登っていくと石仏群の上に出られます。ここに覆屋で保護された大小二つの凝灰岩製の五輪塔があります。おりしも梅が咲き始めていてとてもよい雰囲気でした。Shoug2877
向かって右の小さな塔は承安2年(1172)の銘。Daig2876
向かって左の大きい塔は嘉応2年(1170)の銘。我が国最古の五輪塔は平泉中尊寺の釈尊院墓地にある仁安4年(1169)のものですからそれに次ぐ極めて古いものと言えます。二基とも重文です。

2008年3月 5日 (水)

臼杵の旅・臼杵石仏群(1)ホキ石仏群

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臼杵駅から石仏までは8,9kmで遠くはありません。炭焼き上がりの豊後一の長者満野長者が造立したと伝えれています。国宝に指定されてからは国道10号線は整備されて行きやすくなったそうです。昭和のはじめには宇佐美さんというかたが私設案内所を設けていらしたという話ですが今も土産品売り場と食堂の入った立派な建物を構えていらっしゃいました。受付で拝観料を支払いまずはホキ石仏に向かいました。立派な覆屋で保護されて目の前に大きな石仏群が屹立しているのを目にすると、感動するものです。Cimg2864
石仏群の前には多数の五輪塔も目にしました。

2008年3月 4日 (火)

臼杵の旅・龍原寺三重太子塔

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臼杵を訪れました。もちろん臼杵石仏探訪が主な狙いです。昨年11月に訪れて以来久しぶりの大分です。宿舎を取った大分駅から臼杵までは日豊本線で40数分。石仏までいく途中で見つけたのは浄土宗総本山知恩院末の紫雲山花楽院龍原寺の三重太子塔。市街でひときわ目立つ立派な建造物で安政5年(1858)竣工。Ama2846_2Amag2847_2

一層の軒裏にいるのが天邪鬼で一生懸命に支えている様子が面白いと思いました。

2008年3月 2日 (日)

正福寺地蔵堂(東村山)

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村山の正福寺地蔵堂に行ってきました。東村山駅から10分ちょっと歩けばいいでしょう。東京都で唯一の国宝建造物です。以前にもこのブログで紹介したことがあります。この端正な美しさに引かれてどうしてもときどき来てしまうのです。禅宗様建築の典型として、屋根の反り、扇垂木、礎盤、火灯窓、桟唐戸などを観察するのもいいでしょう。Dsc_0019
本堂は古くはありませんが整った美しさがあります。境内左手にある東京都最大の板碑も見ものです。ここから20分足らずで板碑を多数所蔵している徳蔵寺に行けます。

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